ターリバーンの全土攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 11:11 UTC 版)
「アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)」の記事における「ターリバーンの全土攻勢」の解説
詳細は「2021年ターリバーン攻勢」を参照 陥落した州都日付州都市名8月6日 ニームルーズ州 ザランジュ 8月7日 ジョウズジャーン州 シェベルガーン 8月8日 クンドゥーズ州 クンドゥーズ 8月8日 サーレポル州 サレプル 8月8日 タハール州 タールカーン 8月9日 サマンガーン州 アイーバク 8月10日 ファラー州 ファラー 8月10日 バグラーン州 プリ・フムリー 8月11日 バダフシャーン州 ファイザーバード 8月12日 ガズニー州 ガズニー 8月12日 ヘラート州 ヘラート 8月12日 バードギース州 カラエナウ 8月12日 カンダハール州 カンダハール 8月13日 ヘルマンド州 ラシュカルガー 8月13日 ゴール州 チャグチャラーン 8月13日 ローガル州 プリアラム 8月13日 ザーブル州 カラート 8月13日 ウルーズガーン州 タリーン・コート 8月14日 パクティヤー州 ガルデーズ 8月14日 パクティーカー州 シャラナ 8月14日 クナル州 アサダーバード 8月14日 ファーリヤーブ州 マイーマナ 8月14日 ラグマーン州 メフタルラーム 8月14日 ダーイクンディー州 ニリ 8月14日 バルフ州 マザーリシャリーフ 8月15日 ナンガルハール州 ジャラーラーバード 8月15日 ヴァルダク州 マイダーンシャー 8月15日 ホースト州 ホースト 8月15日 バーミヤーン州 バーミヤーン 8月15日 カーピーサー州 マフムーディラーキー 8月15日 パルヴァーン州 チャーリーカール 8月15日 ヌーリスターン州 パールーン 8月15日 カーブル州 カーブル 7月17日と7月18日、イード・アル=アドハー(犠牲祭)を前にアフガニスタン政府とターリバーンの和平協議がドーハで行われた。アフガニスタン政府は従来にない高位の要人を交渉団に参加させて、ターリバーンを説得しようとした。7月18日、ターリバーンの指導者のハイバトゥラー・アクンザダは真剣に和平交渉を行っていると述べ、イスラム体制の確立・平和・治安の構築、世界との良好かつ強固な外交的・経済的・政治的な関係の構築、他国の治安を脅かす者に対する領土の使用禁止、内政不干渉による独立、大使館・外国組織・投資家の保護、イスラム教と国益の範囲内でのジャーナリズムの自由を約束した。しかし結局、2021年はイード・アル=アドハーの停戦が実現しなかった。ガーニ大統領によるとアフガニスタン政府はターリバーンの要求に応じて5000人の捕虜を解放して来たが、ターリバーンには有意義な交渉を行う準備が無かった。ガーニ大統領は最後通牒として高位の和平交渉団を送り出したが、和平交渉団を率いるアブドラ・アブドラ議長からターリバーンには和平の意思がないという報告を受けた。今後は優先順位をつけて防衛を行い、国民の団結と断固たる態度を示して3〜6ヶ月で状況を打開すると述べた。 7月22日、アメリカ軍のミリー統合参謀本部議長は420地区中210地区余りを反政府軍が支配しており、ターリバーンが優勢であることを認めた。しかし州都はどこも陥落しておらず、アフガニスタン軍は人口の多いカーブルや州都の防衛のために兵力調整をしており、このままターリバーンが勝利できるとは限らない。和平か敗戦か色々な可能性があり、状況を注視して対応したいと述べた。またアメリカ軍の撤退は95%完了しており、撤退後は近隣国に地域の治安評価拠点を設置し、地平線の向こう側から空爆などの軍事的・財政的な支援を行うと述べた。 実はアメリカ国防情報局は2020年末の報告書で、ターリバーンはアメリカ軍を確実に完全撤退させるために形だけ立派な交渉団を送って和平交渉に参加しているが、譲歩や妥協をする気が無い可能性が高く、軍事的な勝利を狙っており、2021年中の停戦は無く、撤退が停滞した場合はアメリカ軍への攻撃を再開すると報告していた。バイデン大統領はアフガニスタンの将来を自己決定に委ね、アフガニスタン政府を応援することにした。一説によると今後の展開としては1) アフガニスタン政府が州都などの支配を維持する、2) アフガニスタン政府が崩壊し、ターリバーンが支配する領域とそれ以外に分裂する、3) アフガニスタン政府が長期間持ちこたえることでターリバーンが諦めて政治的に妥協するという3つの可能性があると言う。 7月25日、ターリバーンの報道官はガーニ大統領の解任を要求した。同日、アフガニスタン政府はカーブル州、パンジシール州、ナンガハール州を除く34州中31州に夜間外出禁止令を発令した。 8月3日、ターリバーンはヘラート州やヘルマンド州の州都を激しく攻撃している。 8月6日、政府メディア情報センターの責任者がターリバーンによって殺害された。ターリバーンは空爆の報復として今後も政府高官のを標的にすると警告した。ターリバーンはニームルーズ州の州都を占領した。首都カーブルから直線距離で800km離れた辺境の州であるが、ターリバーンはついに州都の占領に成功した。SNSでは戦闘員が鹵獲したSUVや軍用ハンビーを運転し、地元の住民が歓迎する様子が伝えられた。国連特使は「致命的な段階」に入ったと警告し、英国及びアメリカ政府はアフガニスタンからの自国民の「退去」を勧告した。 8月7日、ターリバーンはジョウズジャーン州の州都シェベルガーン市を占領した。シェベルガーンは人口が多く戦略上重要な都市だった。またドスタム派の中心地であり政府側民兵の働きが大いに期待されていたが、期待はずれに終わった。地元の有力者であり元将軍のラシッド・ドスタムが政府唯一の支配地区 Du Koh Districtに退避した。ターリバーンはクンドゥーズ州やタハール州、バダフシャーン州の州都も攻撃している。同日夜、アメリカ軍のB52がジョウズジャーン州やヘルマンド州の州都を爆撃した。 8月8日、ターリバーンはクンドゥーズ州の州都を制圧した。同グループは警察本部、知事の敷地、市内の刑務所を占拠し、アフガニスタン軍が実効支配する領域は基地と空港に限られている。同日、クンドゥーズ州の東隣りにあるタハール州の州都もターリバーンに占領された。更に同日、ターリバーンはシェベルガーン市を流れるサフィード川の上流にあるサーレポル州の州都も制圧した。同日、ターリバーンはクンドゥーズ州の西隣にあり北部最大の都市であるバルフ州の州都にも迫った。ターリバーンの急速な前進はアフガニスタン軍の士気の低下と脱走を招いた。 8月9日、アフガニスタン軍が撤退した為、ターリバーンはサマーンガン州の州都を占領した。一方、タハール州やクンドゥーズ州のアフガニスタン軍は州都やその周辺でターリバーンと戦っている。同日、ガーニ大統領はラシッド・ドスタムの提案を受け入れて民兵を統括する公衆蜂起軍統合指令センターを設立し、民兵の動員や武器の供給を行うことを発表した。内務大臣によると政府軍の敗走により道路の支配を失ったため、補給や負傷者の後送はヘリコプター頼みになっている。その上、アメリカ軍の突然の撤退により全国400箇所で戦闘が始まってしまった。アフガニスタン政府は地元の指導者に民兵の動員や戦闘の権限を移譲して、政府軍の敗走を止め、都市を取り囲む防衛線に再集結し、攻勢に転じるという三段階の作戦を考えていると言う。一方、これは2003年に日本が主導して行った武装解除・動員解除・社会復帰の終焉でもあった。 8月10日、アメリカ合衆国がパキスタンに対して国境沿いのターリバーンの安全地帯を閉鎖するように依頼したので、パキスタンは通関するアフガニスタン人にパスポートやビザを要求して、スピンボルダックを閉鎖に追い込んだ。同日、ターリバーンはクンドゥーズ州の南にあるバグラーン州の州都を占領した。バグラーン州はサラン峠の北側に位置する戦略的に重要な州であり、クンドゥーズ州への増援や首都カーブルの防衛にとって大きなマイナスとなった。同日、ターリバーンはニームルーズ州の北にあるファラー州の州都も占領した。同日、アフガニスタン政府の財務大臣が辞任して出国した。 8月11日、ターリバーンはバダフシャーン州の州都を占領した。この都市は北部同盟の本拠地だった。
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