アメリカ統合参謀本部議長
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アメリカ統合参謀本部議長 (アメリカとうごうさんぼうほんぶぎちょう、英語: Chairman of the Joint Chiefs of Staff)は、アメリカ統合参謀本部の長。アメリカ軍を統率する軍人(制服組)のトップであり[1]、大統領および国防長官の主たる軍事顧問である[2]。日本の報道では「米軍制服組トップ」と呼称されることがある[3]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h 合衆国法典第10編第152条 10 U.S.C. § 152
- ^ a b c 合衆国法典第10編第151条 10 U.S.C. § 151
- ^ “冬季反転攻勢を協議=米・ウクライナ軍トップ”. 時事通信ニュース. 2023年12月6日閲覧。
- ^ 合衆国法典第10編第162条 10 U.S.C. § 162
- ^ 合衆国法典第10編第163条 10 U.S.C. § 163
- ^ 合衆国法典第10編第153条 10 U.S.C. § 153
- ^ 合衆国法典第10編第154条 10 U.S.C. § 154
- ^ Organizing for National Security: The Role of the Joint Chiefs of Staff. Institute for Foreign Analysis. January 1986. p. 11. 2011年2月21日閲覧。
There was some discussion of the proposal to grant the Chairman of the Joint Chiefs five-star rank, as a symbol of his status as the most senior officer in the armed forces.
- ^ Jones, Logan (February 2000) (PDF). Toward the Valued Idea of Jointness: The Need for Unity of Command in U.S. Armed Forces. Naval War College. p. 2. ADA378445 2011年2月21日閲覧. 非専門家向けの内容要旨. "Promoting the Chairman to the five-star rank and ceding to him operational and administrative control of all U.S. Armed Forces would enable him to provide a unifying vision..."
- ^ Owsley, Robert Clark (June 1997) (PDF). Goldwater-Nichols Almost Got It Right: A Fifth Star for the Chairman. Naval War College. p. 14. ADA328220 2011年2月21日閲覧. 非専門家向けの内容要旨. "...Chairman's title be changed to Commander of the Armed Forces and commensurate with the title and authority he be assigned the grade of five stars."
- 1 アメリカ統合参謀本部議長とは
- 2 アメリカ統合参謀本部議長の概要
- 3 概要
- 4 歴代議長
- 5 脚注
統合参謀本部議長
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「ジョン・ヴェッシー・ジュニア」の記事における「統合参謀本部議長」の解説
1982年6月18日、第10代統合参謀本部議長に就任する。彼は歴代議長のうち、最後の第二次世界大戦における前線勤務経験者だった。また、各軍参謀総長や統合軍(Unified Combatant Command)司令官ないし特定軍(Specified Combatant Command)司令官の職を経ずに議長就任を果たした唯一の将校だった。彼の任期を通じ、アメリカでは軍拡を続けるソ連邦に対抗するべく、平時のものとしては前例がないほどに防衛支出が拡大され、その存在感を示すべく米軍の活動も世界中へと広がっていった。 ヴェッシーと各軍参謀総長らは、ソ連邦の指導者たちに彼らの軍事的・戦略地政学的優位を求める努力が一切無益だったと知らしめることこそが自らの最優先課題だと信じていた。ヨーロッパでは物議を醸しながらもパーシングIIミサイルおよび巡航ミサイル地上発射設備の配備を推し進め、ソ連邦側のRSD-10ミサイルの脅威を相殺することに成功した。また、東南アジアでは明確な軍事活動を活発に展開することで、地域における重大利益の防衛をアメリカが担うという姿勢を示した。中米では対反乱作戦を援護するべく、訓練および情報の提供を行った。 彼は超大国の軍事力を平和維持任務に割り当てることは誤りだと考えており、1982年と1983年には多国籍平和維持軍の一部としてレバノンへ海兵隊を派遣しようという動きに対し、参謀らと共に反対を勧める声明を発表している。結局彼らの助言は採用されなかった。そして1983年10月23日にはベイルートの海兵隊司令部が自動車爆弾による攻撃に晒され、海兵と陸軍将兵合わせて241名が殺害された。この事件を受け、1984年2月にはロナルド・レーガン大統領がレバノン派遣部隊撤退を指示した。 分権を重要視していたキャスパー・ワインバーガー国防長官は、統合参謀本部議長たるヴェッシーに対し、長官の代行者として軍事作戦を指揮する権限を与えた。1983年のグレナダ侵攻では、大西洋軍(英語版)が立案し、統合参謀本部が評価し、国防長官および大統領の承認を受けるまでの一連の手続きがわずか4日間で行われた。ヴェッシーは米市民救助および親米政権の樹立までを監督した。 また、作戦展開地域としての宇宙に注目が集まったのもヴェッシーの任期中だった。1983年初頭、統合参謀本部は対核ミサイル防衛が次世紀においては技術的に可能となりうる旨を大統領に伝えた。この時の提案に飛びついたレーガンは、同年3月23日に戦略防衛構想(SDI)、いわゆるスターウォーズ計画を発表した。その後、統合参謀本部は宇宙での作戦展開における圧倒的な軍事的優位を確立すると共にSDIを支援するため、専門統合軍の設置を進言した。1985年9月23日、アメリカ宇宙軍が正式に活動を開始した。
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統合参謀本部議長
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「ジョセフ・ダンフォード」の記事における「統合参謀本部議長」の解説
2015年5月5日、バラク・オバマ大統領は、次の統合参謀本部議長にダンフォードを指名した。その後、上院がダンフォードの議長就任について同意し、これを受けて9月25日にマーティン・デンプシー陸軍大将から職務を引き継ぎ、10月1日に正式に議長に就任した。彼の議長就任により、ダンフォードは海兵隊員として初めて、海兵隊副司令官、海兵隊総司令官、統合参謀本部議長を歴任することになった。また、副議長にはアメリカ輸送軍司令官のポール・セルバ空軍大将が就任した。 2015年11月4日、訪日。キャロライン・ケネディ駐日米国大使とともに安倍晋三首相を表敬訪問した。 2018年12月8日、ドナルド・トランプ大統領は、ダンフォードの解任と後任にマーク・ミリー陸軍参謀総長をあてる人事をツイッターで発表した。ダンフォードの任期は2019年10月までとなっていたが、繰り上げられることとなった。 2020年11月、旭日大綬章受章。
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