アメリカ統合参謀本部議長
アメリカ軍統合参謀本部 議長 Chairman of the Joint Chiefs of Staff | |
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![]() 統合参謀本部の紋章 | |
![]() 統合参謀本部議長旗 | |
組織 | 国防総省(統合参謀本部) |
所属機関 | アメリカ統合参謀本部 |
上官 | アメリカ合衆国大統領 国防長官 |
指名 | 国防総省 |
任命 | アメリカ合衆国大統領 上院の同意 |
任期 | 4年 単任 |
根拠法令 | 合衆国法典第10編第153条 10 U.S.C. § 153 |
前身 | Chief of Staff to the Commander in Chief of the Army and Navy |
創設 | 1949年8月19日 |
初代 | オマー・ブラッドレー陸軍元帥 |
職務代行者 | アメリカ統合参謀本部副議長 |
ウェブサイト | www.JCS.mil |
アメリカ統合参謀本部議長 (アメリカとうごうさんぼうほんぶぎちょう、英語: Chairman of the Joint Chiefs of Staff)は、アメリカ統合参謀本部の長。アメリカ軍を統率する軍人(制服組)のトップであり[1]、大統領および国防長官の主たる軍事顧問である[2]。日本の報道では「米軍制服組トップ」と呼称されることがある[3]。
概要
統合参謀本部議長は、大統領および国防長官の主たる軍事顧問であり、国家安全保障会議や国土安全保障会議にも軍事的助言を行う[2]。助言に際しては、統合参謀本部の他のメンバーより大きな権限を有している[2]。なお、各軍種のトップと同様に作戦指揮権は有しておらず[1]、作戦命令は軍の最高司令官(Commander-in-chief)たる大統領から国防長官を経て、各統合軍の司令官を通じて直接発動される[4]。ただし、その制限の下、命令の伝達自体は、議長を通じて行われ、各司令官が任務遂行するにあたっての、大統領および国防長官の補佐を行う[5]。
また、戦略計画の策定や、予算・機材の取得に関する助言、国防における脅威度評価、軍種間統合の推進も議長の責任範囲となっている[6]。
議長は、大統領が指名し、上院の助言と承認(advice and consent)により就任する[1]。任期は奇数年の10月1日よりの4年であり、特に大統領の指名があった場合は副議長であった場合の任期と合わせ8年まで在職できる[1][注釈 1]。ただし、戦時にはこの制限は撤廃される[1]。階級は大将(general又はadmiral)に補され、アメリカ軍における最高位とされる[1]。
統合参謀本部は1947年に国家安全保障法の成立によって法的な裏付けを得たが、議長職は1949年に設置されている。
就任資格
1986年のゴールドウォーター=ニコルズ国防総省再編法 (Goldwater-Nichols Department of Defense Reorganization Act of 1986) によれば、議長の就任資格があるのは、現議長の再任を除くと、他の統合参謀本部(JCS)メンバーおよび地域別・機能別統合軍(Unified Combatant Commands)や特定軍(Specified Combatant Command,一軍種からなる戦闘軍)司令官とされる[1]。ただし、大統領が国益に考慮して必要と判断した場合には、特例としてこれ以外のポストから議長を選ぶこともできる[1]。なお、副議長とは別軍種であることが原則とされる[7]。
- 議長(統合参謀本部メンバー、再任の場合)
- 副議長(統合参謀本部メンバー)
- アメリカ陸軍参謀総長(統合参謀本部メンバー)
- アメリカ海軍作戦部長(統合参謀本部メンバー)
- アメリカ空軍参謀総長(統合参謀本部メンバー)
- アメリカ宇宙軍作戦部長(統合参謀本部メンバー)[注釈 2]
- アメリカ海兵隊総司令官(統合参謀本部メンバー)
- 各統合軍司令官
また本来であれば、JCSメンバーでもある海兵隊総司令官など海兵隊出身者が議長に選ばれる可能性もあるが、初代議長のオマー・ブラッドレー陸軍大将以来、長年にわたって陸軍・海軍・空軍の3軍出身者のみが選ばれるという状態が続いていた。2006年に、ピーター・ペース海兵隊大将が海兵隊出身者では初めて議長に選ばれたことでこの慣習は打破された。2015年にはジョセフ・ダンフォードが、海兵隊総司令官経験者として初めて議長になっている。
在任中に元帥となった初代のオマー・ブラッドレーを除き、階級は大将であるが、軍の統合指揮向上のため、1990年代には元帥職とすることが検討されていた[8][9][10]。
権限
ゴールドウォーター=ニコルズ国防総省再編法の施行以前は、統合参謀本部議長は統合参謀本部の意見のまとめ役に過ぎなかった。大統領及び国防長官に提出する軍事的助言は各軍参謀長たちの合意に基づくものでなければならず、実質的権限はあまりなかった。しかし、同法では議長を「主たる軍事顧問」と認めており、従って議長は参謀長たちの合意にかかわらず大統領、国防長官に直接自分自身の意見を助言することができるようになった。統合参謀本部は実働部隊の指揮権限は持っておらず、指令は国防長官から各統合軍司令官に下される。同法の施行後に初めて統合参謀本部議長に就任したのがコリン・L・パウエルである。
歴代議長
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h 合衆国法典第10編第152条 10 U.S.C. § 152
- ^ a b c 合衆国法典第10編第151条 10 U.S.C. § 151
- ^ “冬季反転攻勢を協議=米・ウクライナ軍トップ”. 時事通信ニュース. 2023年12月6日閲覧。
- ^ 合衆国法典第10編第162条 10 U.S.C. § 162
- ^ 合衆国法典第10編第163条 10 U.S.C. § 163
- ^ 合衆国法典第10編第153条 10 U.S.C. § 153
- ^ 合衆国法典第10編第154条 10 U.S.C. § 154
- ^ Organizing for National Security: The Role of the Joint Chiefs of Staff. Institute for Foreign Analysis. January 1986. p. 11. 2011年2月21日閲覧。
There was some discussion of the proposal to grant the Chairman of the Joint Chiefs five-star rank, as a symbol of his status as the most senior officer in the armed forces.
- ^ Jones, Logan (February 2000) (PDF). Toward the Valued Idea of Jointness: The Need for Unity of Command in U.S. Armed Forces. Naval War College. p. 2. ADA378445 2011年2月21日閲覧. 非専門家向けの内容要旨. "Promoting the Chairman to the five-star rank and ceding to him operational and administrative control of all U.S. Armed Forces would enable him to provide a unifying vision..."
- ^ Owsley, Robert Clark (June 1997) (PDF). Goldwater-Nichols Almost Got It Right: A Fifth Star for the Chairman. Naval War College. p. 14. ADA328220 2011年2月21日閲覧. 非専門家向けの内容要旨. "...Chairman's title be changed to Commander of the Armed Forces and commensurate with the title and authority he be assigned the grade of five stars."
- ^ 阿部, 真司 (22 February 2025). "トランプ大統領、統合参謀本部議長に加え海軍作戦部長の女性も更迭…バイデン政権のDEI象徴". 読売新聞オンライン. 2025年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月23日閲覧。
ブラウン氏は2023年にバイデン前大統領の指名を受け就任した。任期途中の解任は極めて異例だ。
外部リンク
- Chairman of the Joint Chiefs of Staff
ウィキメディア・コモンズには、Chairman of the Joint Chiefs of Staff (カテゴリ)に関するメディアがあります。
統合参謀本部議長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 08:27 UTC 版)
「ジョン・ヴェッシー・ジュニア」の記事における「統合参謀本部議長」の解説
1982年6月18日、第10代統合参謀本部議長に就任する。彼は歴代議長のうち、最後の第二次世界大戦における前線勤務経験者だった。また、各軍参謀総長や統合軍(Unified Combatant Command)司令官ないし特定軍(Specified Combatant Command)司令官の職を経ずに議長就任を果たした唯一の将校だった。彼の任期を通じ、アメリカでは軍拡を続けるソ連邦に対抗するべく、平時のものとしては前例がないほどに防衛支出が拡大され、その存在感を示すべく米軍の活動も世界中へと広がっていった。 ヴェッシーと各軍参謀総長らは、ソ連邦の指導者たちに彼らの軍事的・戦略地政学的優位を求める努力が一切無益だったと知らしめることこそが自らの最優先課題だと信じていた。ヨーロッパでは物議を醸しながらもパーシングIIミサイルおよび巡航ミサイル地上発射設備の配備を推し進め、ソ連邦側のRSD-10ミサイルの脅威を相殺することに成功した。また、東南アジアでは明確な軍事活動を活発に展開することで、地域における重大利益の防衛をアメリカが担うという姿勢を示した。中米では対反乱作戦を援護するべく、訓練および情報の提供を行った。 彼は超大国の軍事力を平和維持任務に割り当てることは誤りだと考えており、1982年と1983年には多国籍平和維持軍の一部としてレバノンへ海兵隊を派遣しようという動きに対し、参謀らと共に反対を勧める声明を発表している。結局彼らの助言は採用されなかった。そして1983年10月23日にはベイルートの海兵隊司令部が自動車爆弾による攻撃に晒され、海兵と陸軍将兵合わせて241名が殺害された。この事件を受け、1984年2月にはロナルド・レーガン大統領がレバノン派遣部隊撤退を指示した。 分権を重要視していたキャスパー・ワインバーガー国防長官は、統合参謀本部議長たるヴェッシーに対し、長官の代行者として軍事作戦を指揮する権限を与えた。1983年のグレナダ侵攻では、大西洋軍(英語版)が立案し、統合参謀本部が評価し、国防長官および大統領の承認を受けるまでの一連の手続きがわずか4日間で行われた。ヴェッシーは米市民救助および親米政権の樹立までを監督した。 また、作戦展開地域としての宇宙に注目が集まったのもヴェッシーの任期中だった。1983年初頭、統合参謀本部は対核ミサイル防衛が次世紀においては技術的に可能となりうる旨を大統領に伝えた。この時の提案に飛びついたレーガンは、同年3月23日に戦略防衛構想(SDI)、いわゆるスターウォーズ計画を発表した。その後、統合参謀本部は宇宙での作戦展開における圧倒的な軍事的優位を確立すると共にSDIを支援するため、専門統合軍の設置を進言した。1985年9月23日、アメリカ宇宙軍が正式に活動を開始した。
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