統合呼びかけと背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 14:56 UTC 版)
「アラブ連合共和国」の記事における「統合呼びかけと背景」の解説
アラブ連合共和国は、1958年2月1日に建国された。そのきっかけは、シリアの政治・軍事指導者たちのグループがエジプトの大統領ガマール・アブドゥル=ナーセルに汎アラブ民族国家の建設の第一歩として合邦を呼びかけたことであった。シリアの汎アラブ主義感情は強く、また同じく汎アラブ主義者であったナーセル大統領は1956年のスエズ危機を乗り切ったことや農村改革などの社会主義的改革手法でアラブ世界の英雄となったところだった。このため、シリアではナーセルのエジプトと連合を組むことに大衆の支持があったとされる。 連合がこのように即座に誕生したことには特殊な理由もあった。シリアはトルコなど周辺諸国に押されていたほか、国内ではハーリド・バクダーシュ (Khaled Bakdash) 率いるシリア共産党の力が伸長、シリアの他の政治勢力の間には危機感が漂っていた。汎アラブ主義を掲げるシリアのバアス党内部にも危機があり、指導者は脱出の道を探っていた。アディーブ・アッ=シーシャクリー (Adib al-Shishakli) の軍事政権が1954年に打倒されて以降シリアでは民主政治が行われていたものの、民衆の間に起こるアラブ統一への圧力は、組閣の際の政党構成にも影響を与えていた。シリア共産党やムスリム同胞団といった政党は、自由将校団に複数のメンバーを抱えるエジプトの共産党(民族解放民主運動)や同胞団と同じく革命を支持したにも関わらずナーセル政権から弾圧を受けていたが(ソ連との関係上共産党は自主解散とされてアラブ社会主義連合に加入させられた)、シリア民衆の意向を汲んでアラブ統一に積極的な態度をとるほどだった(例えば軍事クーデターに近い形でエジプトとアラブ連合共和国建国で合意したシリア代表団を率いたアフィフ・アル・ビズリはマルクス主義者で有名だった)。また商業国シリアの経済界のエリート達も、シリアより経済的に未発達で人口が多いエジプト市場への進出を望んでいた。
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