ターリバーンの攻勢開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:15 UTC 版)
「2021年ターリバーン攻勢」の記事における「ターリバーンの攻勢開始」の解説
しかし米軍やNATO軍の撤収が本格化した5月以降、ターリバーンは攻勢を強め、6月にタジキスタンとの主要検問所であるシルハンバンダル(英語版)をアフガニスタン政府軍との戦闘の末に奪取したほか、同月下旬までにはアフガニスタンの370行政区のうち50以上を支配下に置き、7月5日にはアフガニスタン治安当局が、北東部などの8行政区がターリバーンの支配下に落ちたことを認めた。また7月上旬までには数十の郡を掌握するなど急速に勢力を拡大していった。バグラム空軍基地から米軍が撤収したことによりアフガニスタン政府軍は米軍からの空爆支援が大幅に減ったこともあり、アフガニスタン政府軍は次第に苦戦を強いられていく。7月5日にはアフガニスタン政府軍の兵士1000人以上が隣国タジキスタンに逃亡する事件も発生した。 7月7日、ターリバーンは北西部バードギース州の6行政区すべてを支配下に置き、州都カラエナウ(英語版)への攻撃を開始した。ターリバーンが本格的にアフガニスタン政府軍との戦闘を開始して以降、これが初の州都に対する攻撃となった。この時は政府軍がカエラエウを死守し、7月16日にはバードギース州とターリバーンの地方指導部が停戦で合意した。 しかしターリバーンは根拠地とするカンダハールや、旧ターリバーン政権時代にも攻め落とせなかったクンドゥーズ州など北東部にも攻勢を強めたほか、イランとの主要国境を制圧し、石油輸入に欠かせない要所を支配下に置いたほか、タジキスタンとの国境の3分の2も掌握した。7月9日、ターリバーンはアフガニスタン398地域のうち約250地域を含む、全土のうち85%を支配下に置いたと主張したほか、イランとの国境検問所イスラムカラ(英語版)も手中に収めたと発表した。7月14日にはパキスタンとの国境検問所スピンボルダックを掌握し、SNS上にはターリバーン戦闘員がくつろぐ写真が投稿されたほか、地元住民らも報道機関に対して町がターリバーンに掌握されたと証言したが、アフガニスタン内務省報道官は治安部隊がターリバーンを撃退したとし、同地域掌握を否定した。7月22日にはターリバーンの報道官がイタルタス通信に対し国境の90%を支配下に置いたと主張した。
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