タブーを恐れる国民意識の存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 02:16 UTC 版)
「菊タブー」の記事における「タブーを恐れる国民意識の存在」の解説
1959年(昭和34年)、当時の皇太子明仁親王と正田美智子(第125代天皇とその皇后)の婚礼パレードにおいて投石事件が発生、国を挙げての祝賀ムードに水を差すものとして、犯人である少年と家族は村八分とも言える扱いを受け、世間から隠れるようにして暮らした。 1988年(昭和63年)、昭和天皇の入院の際には、娯楽系のテレビ番組休止やコマーシャルの台詞に配慮といった形での自粛が行われ、祝宴などの華やかな行事、地域の祭りやスポーツ大会も自粛する動きがみられた。イギリスの『ザ・サン』が「地獄が天皇を待っている」と書いた事について外務省から在日大使館を通じての抗議申し入れがされた他、自民党の某議員は「特派員が日本にいるなら国外追放すべし」と息巻いた。もっとも、皇太子(当時)の「過剰な反応は陛下の心に沿わないのでは」という発言が報じられると、“自粛を自粛”しようという動きも見られた。 1989年(平成元年)2月2日、突如各紙朝刊に扶桑社と大日本印刷株式会社の連名で「2月2日発売の『スパ!』の記事の一部に不穏当な誤植がありましたことを深くお詫び申し上げます(原文)」の謝罪広告が掲載され、その週の『SPA!』が発売中止になった。これは『SPA!』で当時連載されていたコラムの中で大正天皇が大正洗脳と打ち違え・誤変換のまま印刷されてしまった校正ミスが原因だが、その詳細については謝罪広告では一切触れられなかった。 1993年(平成5年)には漫画家の小林よしのりが同じく『SPA!』で連載していたゴーマニズム宣言において「カバ焼きの日」と題して皇太子徳仁親王の結婚とそれを報道するマスコミをギャグにした作品を執筆した際に編集部内で問題となりその回だけ急遽連載休止になった。次号で小林はこれに反発し連載休止に追い込まれた件の作品を『ガロ』で発表した(ゴーマニズム宣言の項を参照)。また、これと同じ時期に『週刊実話』に掲載されたイラストが、皇室を侮辱するものではないかと編集部内で問題になり、その週の『週刊実話』が発売中止、自主回収された。 2004年(平成16年)12月9日発売の『女性セブン』は、皇室記事の見出しで「皇太子」の「太」が「大」と誤植されていたことを印刷途中で気付き作業をやり直した為発売が4日延期された。 2006年(平成18年)9月の悠仁親王の誕生に際して「国民の奉祝ムード」の中、その「ムード」を皮肉るような口調で批判した乙武洋匡のブログが荒れ、乙武は最終的に謝罪に追い込まれた。同年10月には佐賀県で、毎日新聞記者が天皇・皇后の来県を批判的に知事に質問したことについて、インターネット右翼を中心に記者が在日韓国・朝鮮人であることを理由とした記者の解雇、免職を毎日新聞社に対し要求する動きが出た。毎日新聞社はこの記者に厳重な注意を行ったと発表した。 2007年(平成19年)2月、講談社はベン・ヒルズ『プリンセス・マサコ』(Princess Masako―Prisoner of the chrysanthemum throne)日本語版出版中止を決定。外務省・宮内庁がヒルズに対して抗議したが、ヒルズは「謝罪の必要はない。雅子さんに謝罪しなければならないのは宮内庁。日本政府が日本国民の非難を恐れているのは明らか」と回答、講談社はこれを受けて「著者の姿勢には問題があり、出版後に起こり得るさまざまな問題に共同で責任を負うことが出来ない」としたため。ヒルズは毎日新聞の取材に対して「出版中止は非常に残念。講談社は宮内庁、外務省など官僚組織の圧力に屈したと確信している」とコメントしている。その後、同年8月2日に、第三書館から9月上旬に同書が出版されることが決定した。第三書館では「特に出版を中止する理由はない。年代の誤りなど単純なミスを直し、完訳版を出す」としている。なおマスコミ全社が本書の広告引き受けを拒否している(朝日新聞社(広告局)は拒否理由として「公の機関の反応も鑑み」と回答)。 2007年(平成19年)9月、秋田県庁で、天皇・皇后の来訪に関する公文書作成の際に「悪天候」を「悪天皇」と誤変換したまま決裁(確認)を受けずに発送したことで担当職員が訓戒処分、上長が監督責任を問われ厳重注意処分となった。
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