タブーと親交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:06 UTC 版)
1960年代から1990年代の各週刊誌などで批判的言説を受けていたにもかかわらず、笹川に批判的な左翼マスコミからは生前、「新聞やテレビ、雑誌などのマスメディアで『大物右翼』と呼ばれた笹川良一に関する批判的言説を発表することは、ある種のタブーとなっていた」と言われてきた。 しかし、笹川は有名税とばかりに意に介さず「大木は風当たりが強い、との例えどおり、実力のうえにおいて、私のマネができないからヤキモチを焼いているのだ。女のヤキモチより男のヤキモチのほうが強いのだから、これはある意味でやむをえない」と片付けてしまっている。 しかし逆に、笹川を擁護することもまた、ある種の偏見を受ける恐れのあることだった。戦後のマスコミや知識人の多くは笹川に対して「右翼の大立者」「政界の黒幕」「名誉心と自己顕示欲のかたまり」など、マイナス・イメージを持っていたため、笹川に好意的な見方を披露すれば、彼らから右翼論者扱いされる危険があった。 なお上記のように統一教会の文鮮明との関係があった半面、仏教系の新宗教・辯天宗の信徒総代になっている。また、山口組三代目・田岡一雄とは酒飲み友達であると公然と話し、暴力団の仲裁役を務めた。ロッキード事件が騒がれるとロッキード副社長と会った事実などが明らかになるが、笹川は「会ったことがあるが疑惑はない」と反論し、実際にそれ以上の追及はされていない。 国内に比べると海外では、社会奉仕活動家(フィランスロピスト)として高い評価を受けていた。世界各国の要人と交友関係をもっており、笹川と親交のあった人物の中には第39代アメリカ大統領のジミー・カーター、実業家ジョン・ロックフェラー等がいる。戦前から巣鴨時代にかけての笹川の人脈は『続・巣鴨日記』の「解説」に詳しい。
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