親交のあった人物
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横井康和 6代 桂文枝(前名 桂三枝) 島田紳助 加賀テツヤ 河村隆一 西城秀樹 下田逸郎(「月のあかり」の作詞者。親交は古く、2011年6月のジョイントライブの際には、「はじめようと思う」を桑名に合う曲ということで直々にプレゼントした) 陣内孝則 今陽子 原田芳雄(息子でギタリストの原田喧太がメンバーとして時折参加している。桑名の葬儀では息子の喧太が弔辞を読んだ) 安岡力也 やしきたかじん 上田正樹 もんたよしのり B'z(かつてギターの松本孝弘が自身のバックミュージシャンとして参加していた。その縁でボーカルの稲葉浩志も飲み友達である) 内田裕也 ジョー山中 永井セーラ ラモス瑠偉 川崎麻世 研ナオコ 岩城滉一 ダイヤモンド☆ユカイ 松尾貴史 堀内孝雄 天童よしみ 渋谷天外(3代目・松竹新喜劇代表) 宇崎竜童
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親交のあった人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 16:29 UTC 版)
星野仙一 藤山直美 - 過去には女性誌に結婚以上の仲であると報道されたことがある。特番等での共演も多く、プライベートでも12時間以上の長電話をしたり電話口で10曲以上も歌うなど、ふたりの相性が抜群によいことが伺われた。NHKが大嫌いなたかじんも、藤山が出演する連続ドラマ『芋たこなんきん』については自身の番組で「どうぞよろしくお願いします」と(観覧客に向かって)言っていたが、「芋ブタなんきん」(←藤山の体格が良いことから)と本人の前でネタにもしていた(テレビ大阪の特番『たかじんプロデュース』にて)。また、藤山が関西テレビ『ムハハnoたかじん』2007年4月13日放送分でゲスト出演した際、たかじんと夫婦コントを演じた。 松山千春 - 『たかじんONE MAN』での対談で初共演後、意気投合し、その後親友となった。コンサートなどで共演している他、闘病中には一時、松山が在住する北海道で療養していた。 六代桂文枝 堀内孝雄 - 桃山学院高校時代の同級生。かつて同じ事務所に所属し、たかじんのライブなどにゲスト参加する事もある旧知の仲だった。また、20代後半の頃、東京・ニッポン放送の廊下で再会した際「いまアリスやってるねん」と近況を話した堀内に対して、まさか同級生が当時売り出し中のグループのメンバーであるとは思いもしなかったたかじんは、堀内がアダルト向け書籍の出版社であったアリス出版で働いているものと勘違いし「お前ええ歳してもう少し真面目な仕事せんかぁ!!」と説教をした。 桂ざこば - 一時期不仲になった時期があった。ざこばが朝丸だった当時、サンケイホールで行われる予定だった2代目桂ざこば襲名記念講演が中止となり、たかじんがその日の朝日放送ラジオで「サンケイをケツ割った」と発言してネタにした。後日、たかじんが当時司会を務めた『ナイトinナイト』水曜で「桂ざこば襲名記念特番」でゲスト出演したざこばが無口だったので、たかじんが「プロやったらしゃべれ」と一喝し、ざこばが「プロやからしゃべらんのや」と激怒し、収録中にもかかわらず帰ってしまった(2011年6月25日の『そこまで言って委員会』増刊号より)。この件で暫く不仲になったが、『たかじんnoばぁ〜』で和解し、再び親しい仲に戻った。 桂南光 - 「晴れときどきたかじん」の後継者として南光を指名。一晩中かけて口説き落とした) 桂雀々 笑福亭鶴瓶 - 祇園の弾き語り時代、金がなく食べ物を求め2人で四条河原町をさまよっていた。ホームレスに不二家の店の前にあるゴミ箱にあったシュークリームを分けてもらおうと、ジャンケンでたかじんが行くことになったのだが、ホームレスに無視され続け、最後には「兄ちゃん、素人が食ったら腹壊すで」と言われ断られたという(2007年11月5日の『そこまで言って委員会』でも語っていた)。また、2010年5月1日放送の『たかじん胸いっぱい』では、41年位の付き合いになると語っている。 明石家さんま 大平サブロー(一時期、干されていたころの面倒を見ていた) オール阪神・巨人 - 『MBSヤングタウン』で共演。その縁でコンビ結成30周年のNGKイベントに出演している。 ビートたけし 上岡龍太郎 - たかじんに影響を与えた人物の一人 谷村新司- 桃山学院大学の先輩(二人共中退)。たかじんが鳴かず飛ばずの不遇の時代に、キングレコードから谷村新司の作詞作曲で『機動戦士ガンダム』劇場三部作の第一作目・主題歌『砂の十字架』で13万枚のヒット曲がある。 桑名正博 リリアン 橋下徹(第19代大阪市長、第17代大阪府知事) - 番組で共演。大阪府知事選に当選した橋下と関わりのある人物としてたかじんの名前や過去の映像、番組名を在京のニュース・ワイドショーが頻繁に取り上げた。ただし、在京キー局にてたかじん自身の姿が放送される時は、たかじんの発言が大幅にカットされる事が多かった。 平松邦夫(第18代大阪市長) - MBSラジオでパーソナリティをしていた際知り合いになった。橋下より数ヶ月先に大阪市長となったため、知り合いが大阪の二大トップになってしまったのは信じられないと自身の番組内で語っている。橋下と平松がトップ会談をするきっかけを作ったのはたかじんの番組『ムハハnoたかじん』である。時折非公式会談をたかじん宅で行なうことがあった(ただし、たかじんはあくまで場所を提供しただけであって会談に口は一切挟んでいないと『そこまで言って委員会』2008年6月1日放送分で語っている)。 宮根誠司 - 番組で共演。『情報ライブ ミヤネ屋』でたかじんの話題を取り上げる事がある。 北野誠 - 北野とは長きにわたる親交があり、2009年からの謹慎後、北野を自身の番組で復帰させることを公言。実際に『たかじん胸いっぱい』2010年2月27日放送分で復帰後初出演を果たしている。 泰葉 - 1980年代半ば以降、MBSラジオ『ウィークエンド・イングス』『ハローナショナルショールーム』の共演を縁に親交を深める。当時、根岸の実家に頻繁に出入りした事もあった。そのためか、母・海老名香葉子から林家こぶ平(現:9代目林家正蔵)を預かってくれるように懇願される。その後、しばらくこぶ平はたかじん宅に住み込み、かばん持ちをしていたが、実質たかじんの弟子入りのような形になった。以前ウィキペディアに「たかじんと泰葉は結婚寸前の仲までに発展した」という記述があったことについて、たかじん本人は自らが主筆の発禁!?たかじん新聞のコラムで「根も葉もないデタラメだ」と記述している。 志村けん 眞鍋かをり - 眞鍋が事務所移籍騒動で思うように芸能活動ができなかった時期に「大阪なら大丈夫」と声を掛け、『たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜』に誘う。 長戸大幸(音楽プロデューサー・音楽制作会社ビーイング元代表取締役) - 京都時代のミュージシャン仲間。2008年頃に共通の知人を通じて、数十年振りに再会。たかじんの生涯最後となった2009年のコンサートツアーでは、長戸の紹介でGIZA Studio所属のミュージシャンがバックバンドを務めた。
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