スエズ運河国有化とアラブ民族主義の隆盛とは? わかりやすく解説

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スエズ運河国有化とアラブ民族主義の隆盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 21:59 UTC 版)

エジプトの歴史」の記事における「スエズ運河国有化とアラブ民族主義の隆盛」の解説

ガマール・アブドゥル=ナーセル」および「第二次中東戦争」も参照 自由将校団王制打倒では一致していたものの、もともとその統治暫定的なものとされ、今後の展望について統一され見解有していなかった。ナギーブ首班とする革命評議会政権獲得後パシャベイなどのオスマン帝国時代以来称号廃止土地所有上限面積200フェッダン(1フェッダンはおよそ4200平方メートル)とする農地法制定農地法規定超える大地主所有地の強制買い上げ零細農民への分配などの農地改革小作料大幅な引き下げなどを実施した。だが、ワフド党をはじめ既存政党左翼勢力方針統一させることができず、自由将校団ムスリム同胞団例外として既成政党解散させ「解放機構」(後に国民連合次いでアラブ社会主義連合改称)と呼ばれる統一組織統合した同時に上級将校人事一新暫定憲法制定行いナギーブ大統領として王制時代体制一新したその後自由将校団でも、軍の政治関与排し議会制民主主義による統治目指しナギーブと軍主導急進的改革主張するナーセル対立した。元々ナギーブ指導自由将校団内では名目的なものに過ぎなかったが、以前からの個人的人気加え表向き首班として国民的支持獲得しており、実権を握るナーセルらにとの軋轢増していた。1954年2月末から3月にかけて、ナーセルナギーブ大統領職から解任することを宣言したが、世論強硬な反対を受け撤回追い込まれた。しかし、1954年10月ナーセル自分が代表を務めたイギリスとの交渉イギリス軍の完全撤退合意獲得することに成功し、その祝賀集会発生したナーセル暗殺未遂事件対処にも成功したことで圧倒的な人気獲得した。また暗殺実行犯イギリス軍撤退条件に不満を持つムスリム同胞団団員であったため、ムスリム同胞団に対して容赦ない弾圧加えられた。さらにナギーブ暗殺事件関与したとして大統領職追われ自宅軟禁下に置かれた。こうしてナーセル主導権握り1956年6月国民投票エジプト史上初め女性参政権認められ選挙でもあった)によって99.9パーセント支持受けたとしてナーセル大統領就任した当時の世界情勢は既にアメリカ中心とする西側諸国ソヴィエト連邦中心とする東側諸国冷戦構造にあったアメリカ・イギリスは対ソ封じ込め一環として1955年イギリストルコパキスタンイラン、そしてイラクによる集団防衛体制バグダード条約機構)を組織したナーセルはこれをヨーロッパによる中東アラブ世界対す新たな帝国主義体制見なしアラブ諸国中から最初に参加表明したイラク対し強い批判展開した。さらにバグダード条約機構加盟交渉進めていたシリアヨルダンなどに働きかけてこれを阻止するなどしたため西側との関係悪化した同時期にエジプトアメリカ関係悪化に付け込んだイスラエルエジプト武力攻撃破壊活動行い1955年にはガザ大きな打撃受けたこのため国防体制強化軍事力増強急務となったが、アメリカからの武器支援得られる見込みが立たなかったため、ナーセルは独自の道を模索した大統領就任先立つ1955年バンドン会議アジア・アフリカ会議)に出席して新興国リーダーとしての存在誇示するとともに東側チェコスロバキアからの武器購入事実上ソ連からの武器購入)に合意し中華人民共和国承認した。これに反発したアメリカは、エジプト建設進めていたアスワン・ハイ・ダム建設資金融資撤回したバグダード条約機構問題イスラエルとの問題武器購入、そしてダム建設資金問題相互に関連しながら同時並行的に進んだ。そしてアスワン・ハイ・ダム建設資金融資停止アメリカにとってエジプトに対して教訓垂れ意図実行されたものであった。 これに対しナーセル1956年7月スエズ運河国有化宣言し西側従属する意図がないことを示したスエズ運河はこの時もなお経済的にも政治的に象徴的かつ重要な要衝であった経済面では当時ヨーロッパで消費される石油3分の2がこの運河通過して運ばれており、政治的にエジプト残されていた最後植民地支配残滓であったナーセルはこれを国有化することでアメリカ・イギリス挑戦するとともに年間1億ドル当時)とも試算されたその収益アスワン・ハイ・ダム建設資金充てようとしたアラブ諸国民衆ナーセル決定快哉叫んだが、西側諸国大きな衝撃を受け、エジプト資産凍結したスエズ運河直接権利持っていたのはイギリスフランスであった。既にインドをはじめとした主要な植民地喪失しつつあったイギリスと、同じくインドシナ戦争苦戦強いられていたフランスは、植民地帝国凋落決定的にするものと見て武力介入検討した両国ではナーセルヒトラー再来見なしスエズ運河問題での妥協ヒトラー対す宥和政策轍を踏むものとい議論盛んに行われたエジプト強大化を脅威見なすイスラエルがこれに同調した。3国は秘密裏交渉によってエジプト攻撃決定し1956年10月29日シナイ半島イスラエル軍侵攻したイギリス・フランス両国イスラエルエジプトに対して即座戦闘停止要求しエジプトがそれに応じなかったという口実エジプトへの空爆開始した。こうして始まった戦い第二次中東戦争スエズ動乱スエズ戦争)と呼ばれるエジプト軍事的に対抗不能であったが、この戦争謀略よるものであることは誰の目にも明らかであり、全世界的な批判イギリスフランスに対して向けられた。特にこれがアラブ諸国西側から遠ざけることを懸念したアメリカ大統領ドワイト・アイゼンハワーが、事前通知得ていなかったことの怒り手伝いソヴィエト連邦とともにイギリス・フランス・イスラエルに対して撤兵要求したことは各国衝撃与えた。 3国は撤退応じざるを得ず、この動乱中東におけるイギリス・フランス植民地帝国終焉象徴する事件となったエジプト軍事的に大きな打撃受けたものの政治的勝利を達成しスエズ運河の「回収」という成果得た。これによってナーセルヨーロッパの大国戦った英雄としてアラブ諸国人々熱狂もたらしたナーセル熱狂的に信奉するナーセル主義者各国登場しアラブ民族主義者と同調してアラブ統一目指す動き活発化ていった

※この「スエズ運河国有化とアラブ民族主義の隆盛」の解説は、「エジプトの歴史」の解説の一部です。
「スエズ運河国有化とアラブ民族主義の隆盛」を含む「エジプトの歴史」の記事については、「エジプトの歴史」の概要を参照ください。

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