スエズ運河建設とフランス領ソマリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:29 UTC 版)
「フランス第三共和政」の記事における「スエズ運河建設とフランス領ソマリ」の解説
フェルディナン・ド・レセップスのスエズ運河建設は、1859年から始まり1869年に完成。この間の1859年にフランス第二帝政はタジュラ湾のオボック港(現ジブチ)を租借した。1875年にムハンマド・アリー朝エジプト・ヘディーヴのイスマーイール・パシャがスエズ運河の株44パーセントを400万ポンドで売りに出した。イギリスの首相ベンジャミン・ディズレーリは、イギリスの憲法制度に反して議会の承認なしに、ロスチャイルド家から借り受けた購入資金でこの株を購入し、筆頭株主となった。 エチオピア帝国の皇帝メネリク2世は、イタリア離れと軍事力増強のためにフランスに接近を試み、1894年にジブチ市からエチオピアのハラールまでの鉄道敷設権をフランス企業に与えた。タジュラ湾周辺に勢力を拡大したフランスは、第一次エチオピア戦争(1895年6月 - 1896年11月)中の1896年5月20日にフランス領ソマリ(フランス語版、英語版)(1896年 - 1967年)としてこの地を植民地化した。
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