吉田拓郎とは? わかりやすく解説

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吉田拓郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 22:23 UTC 版)

吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年昭和21年〉4月5日[6] - )は、日本フォークシンガーシンガーソングライター音楽プロデューサー俳優。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう。鹿児島県伊佐郡大口町(現在の伊佐市)生まれ[出典 3]広島県広島市育ち[出典 4]


注釈

  1. ^ 例外として、「オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル」の出演。
  2. ^ 好きだったモデル・入江美樹小澤征爾の妻)と好きだった女の子の名前(準ちゃんと思われる)を足したもの[16]
  3. ^ 吉田正廣は郷土史研究のため、鹿児島に単身赴任していたが[48]、仕事も一段落つき、広島に戻る予定の矢先に亡くなった[48]。拓郎のブレイク直前のことだったという[48]
  4. ^ 地方のグループ・サウンズの一つとして紹介されることがある[59]
  5. ^ 多彩な音楽性で知られる拓郎は、広島フォーク村のコンサートで中山千夏の「あなたの心に」の替え歌を演ることもあったという[74]
  6. ^ 社名は小室等の愛娘・こむろゆいに因む[105]
  7. ^ この時、吉田拓郎を弁護し、早期の釈放・不起訴へと促したのが、後に企業弁護士として著名となる久保利英明である[127]
  8. ^ 20歳近く年下の松浦勝人社長に「avexでは若い人のアルバムをたくさんつくってヒットさせてきたけれど、これからやめようという人の音楽は初めてです」と言われ「面白いことを言う男だ」と好感を持ち移籍した。
  9. ^ 客が“帰れコール”を浴びせたり、ステージに上がってわめいたりするのが1970年代に流行したのは1971年8月の第3回の中津川フォークジャンボリーでの暴動から。その後のコンサートで、このときのマネをする勘違いが流行った[162]。耳を澄まして聴く歌詞に共感できれば拍手をし、気に入らなければ“帰れコール”を浴びせる。フォークと聴衆の関係はそのようなものという考え方があった[163]。当時は“帰れ”というためだけにコンサートに来る者もいた[164]
  10. ^ 1972年4月22日日本武道館、音楽舎主催。文献によっては「音搦大歌合(おとがらみだいうたあわせ)」とするものもある[166]。拓郎、岡林信康以外の出演者は、三上寛六文銭ガロはっぴいえんど遠藤賢司かまやつひろし加川良五つの赤い風船山下洋輔トリオほか。
  11. ^ 針金を曲げてハーモニカ・ホルダーを作り、首にかけるスタイルも日本では拓郎が最初といわれる[197]
  12. ^ ステージに譜面台を持ち出したのも、ニューミュージック界では拓郎が最初といわれる[199]
  13. ^ 本来フォークとは民謡という意味を持つため、日本のフォークとは趣旨もニュアンスも違うと考えた番組製作者が「ジーンズサウンズ」という名称をラジオ番組のタイトルに付けたことがある。これは拓郎を始め当時のフォークシンガーがジーンズを穿く者が多かったため[211]
  14. ^ 桑田佳祐は自著「ロックの子」の中で、拓郎の"字余り"や"コマーシャルソング"にはまったと話している[258]
  15. ^ 音楽界に於ける、です・ます調の"創始者"については『新譜ジャーナル』1977年のユーミンと松本隆の対談で以下のやりとりがある。ユーミン「松本さんの始めたデスマス体(この文献の表記)っていうのは、ゼッタイ新しかったわけでしょ。そういうのを浸透させたっていうのは、拓郎なんかも一端になっているかもしれないけど、松本さんがすごいインパクトを持っていたと思うの」(中略)松本「同時進行で僕と、遠藤賢司とか高田渡が始めていたね」と述べている[271]
  16. ^ 小室哲哉との対談は2008年11月5日の日本経済新聞朝刊の社説、1面コラムの春秋にも引用された。
  17. ^ 吉田拓郎のそれまでになかった、話し言葉のような歌が若者たちの心をとらえた[304]。歌詞の中で、自分のことを「おいら」と呼ぶのも拓郎が始まりと思われる[305]。1組の男女の別れを切なく描いた詞が、最後の最後に「年老いた男」の俯瞰の目線に変わるこれまでにない詞の展開、方法論を持つ「マークII」[306]など。
  18. ^ 武部聡志は「『イメージの詩』は言いたいことが沢山あって、8番だか10番まであった。それがあったからこそ吉田拓郎というアーティストは評価され、強烈なインパクトを与えることができたんだと思う」と述べている[307]。この他、拓郎は、形態こそギターを弾きながら自作曲を歌うという、それまでのフォークと同じスタイルをとりながらも、歌う内容は全く変わっていた。自分の思ったことを歌う、歌いたいことだけを歌うというマイペースの姿勢に変わりはないが、社会問題をテーマにするのではなく、自分の身近な私生活をテーマにした[308]、反体制イディオムと青春歌謡を直結させる手法は新鮮で、現在のロッカーもこの手法を無意識に踏襲[309]、「旅の宿」「襟裳岬」等に共通する"和"の世界 "ジャパネスク"路線も、後のシンガーソングライターたちに無意識下に下敷きにされる[310]、例えば、田上雅充の「春うらら」は「旅の宿」をベースに春歌的趣味を加えたもの[311]、フツーの男が、とてもマガオでは言えないような話を平気で自然に歌に出来る力強さ[312]、といった論調がある。
  19. ^ 織田哲郎は「演歌にも通じる日本人の歌心に新しいスタイルを提示した人」と評している[313]笠井潔は「ユーミン、陽水の前史として拓郎がある。拓郎は自身が考えていること、感じていることを、そのまま歌にして歌うという近代的な表現意識を、非常に直接的に、シンプルな形で典型的に確立した。大衆歌謡としての自己表出という非常に明瞭な方法意識を確立させた。陽水にしても、中島みゆきにしても、60年代歌謡の水準をそのまま高次化したわけではなくて、いったん吉田拓郎に体現されているような近代的表出意識を転回点にした上で、もう一度60年代歌謡の位相に戻ってくるという形をとっている」と論じた[314]。拓郎は演歌の歌唱法と歌詞法を超えて、身近な言葉を音(メロディ)に乗せえたいちばん最初の人。中島みゆきは、好むと好まざるとに関わらず、拓郎たちが領土化した発声と発想の路線上から出発した[315]、小室等は、「日本のフォークソングには拓郎と陽水という二つの大きな流れがある。それはアーティキュレイション(Articulation)でありフレーズ。拓郎の方が陽水よりポピュラリティがあって、日本のわらべ歌民謡に非常に近いものがある。また言葉に対する感性のセンスがいい。陽水のほうはもっと英語に近いアーティキュレイションでの日本語。拓郎と陽水がやったことの成果、功績は大。二人がいなかったら日本語の歌って違った形になっていたと思う。だからユーミンには失礼だと思うけれど、拓郎と陽水がいなかったら、ユーミンがああいう形であったかどうかって、僕はそう思ってしまう。勿論、ユーミンも才能のある人だから、何らかの発見をしたかも知れないけども、でも拓郎と陽水という実績の上に、今のユーミンがあると思うし、日本の歌もその上にあると思うね」[316]、「陽水、ユーミン、小田和正といった人たちが、非常に洋楽的なエッセンスと日本語の感性をドッキングさせる才能に長け、日本語としての生命力を保ちつつ曲を作るという意味で、エポック・メイキングだった人たちだった思う。拓郎辺りまでは、まだ七五調な日本語感性に踏みとどまっていたが、その後日本の音楽は限りなく英語感性に寄り添っていったと思う」[317]と論じた。南田勝也は「フォークからプロテスト性をそいだ形で「自分の思ったことを自分の言葉で歌う」というテーゼだけを保持し、自身の「私生活」を表現」と論じた[318]
  20. ^ ドラムは再建後のエレックレコード社長・萩原克己
  21. ^ 同時期にはっぴいえんどが岡林信康のバック演奏を務めたことは有名だが、レコーディングは、はっぴいえんど主導で行われたといわれている[344]
  22. ^ 当時はシングルは売れても、アルバムは3千〜5千枚売れたらいい方であった[345]
  23. ^ 外国では、イギリスのワイト島フェスティバルが有名。
  24. ^ 泉谷しげるは「拓郎が『商業主義に染まりたくないからテレビには出ない!』なんてかっこよくいうもんだから、俺たちも『おおっ』ってなっちゃって。気がついたら振り上げた拳を下ろせなくなってさ。『弱っちゃったな、別にテレビ、嫌いじゃないんだけど』」と述べた[375]
  25. ^ 1970年代初頭ではまだ、テレビCMの世界で自らのサウンドスタイルを崩すことなく音楽制作を聞かせることができたのは、拓郎と大滝詠一だけであったといわれる[421]。「Cider'73」からはじまる大滝詠一が手掛けた三ツ矢サイダーの名作シリーズは、拓郎の「HAVE A NICE DAY」に対抗するため、当初サクラカラーはっぴいえんどにCMソングを依頼したもので、はっぴいえんどの解散でこれは流れたが担当者が大滝の楽曲を気にいり、大滝個人に三ツ矢サイダーのCMが持ち込まれたもの[422]
  26. ^ 拓郎はランちゃんが苦戦したのは、その日が生理だったからとマネージャーに言われたと著書に書いている[450]
  27. ^ 「てぃーんずぶるーす」6位、「キャンディ」10位、「シャドーボクサー」14位(期日不明)[464]
  28. ^ 近年のコンサート/ライブでは、こうしたMCも重要な構成要素とされるが、小室等は1980年に出した著書の中で「歌と直接関係を持たない、お客さん用のおしゃべりのような、くだらないことを拓郎にやらせた、覚えさせたのはファンに半分責任がある」と、MCに対する問題提起をしている[488](ほぼ同じ内容の記述)[489]
  29. ^ バックバンドは宮川泰(キーボード)、日野皓正(トランペット)、日野元彦(ドラム)、大西順子(ピアノ)、石川鷹彦(アコースティックギター)、渡辺香津美(エレキギター)、金沢英明(ウッドベース)、吉田建(ベース)、さらにバックコーラスとして五木ひろし森進一前川清という豪華の顔ぶれのステージとなった。
  30. ^ 当初は泉谷が1人で募金ライブを敢行、これに拓郎が「スーパーバンド」という概念を加え、その後泉谷と拓郎、小田が軸となって「スーパーバンド」としてチャリティコンサートを行う[524]
  31. ^ 最初は詞だけの依頼だったが、拓郎に今さら頭が上がらず、色々注文を付けられ詞も曲も書くことになったと中島は話している[548]
  32. ^ 岡林は、はっぴいえんどとロックをやり始めたため、怒ったフォークファンが怖くなり対人恐怖症になって歌を辞めると宣言し渡米、帰国後も京都の寒村に穏棲したりし表舞台に立たなくなった[600]
  33. ^ ペニーレインは原宿にあった伝説のバー。当時、ユイ音楽工房社長だった後藤由多加が飲食店事業の一環として1974年に立ち上げた。拓郎の楽曲「ペニーレインでバーボン」で有名になり、修学旅行のコースにもなった"1970年代原宿の象徴"ともいわれる名店[74][628]。休日は終日満員となり、マッチが一日500個消えていき、地方から上京したヤングが地元に持ち帰るマッチはプレミアムがついて売れたという[629]。1990年に閉店、2006年に復活した。

出典

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