小西良太郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小西良太郎の意味・解説 

小西良太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 02:10 UTC 版)

小西 良太郎(こにし りょうたろう、1936年10月20日[1] - 2023年5月13日[2])は、日本音楽プロデューサー音楽評論家東京都葛飾区堀切生まれ。

来歴・人物

第二次世界大戦中に疎開した茨城県で育つ。茨城県立水海道第一高等学校を卒業後、1958年スポーツニッポン新聞社に入社。1963年に音楽担当記者となり、後に文化部長、運動部長、取締役編集局長、常務取締役を務め、2000年に退社した。

スポーツニッポン在籍中から音楽プロデューサー、評論家として活動。主なプロデュース作品として、「舟唄」、「雨の慕情」(八代亜紀)、「夜桜お七」(坂本冬美)、「傘ん中」、「北物語」、「アカシア挽歌」、アルバム「おんなの絵本」ほか(五木ひろし)、永井裕子の全作品などがある。

また、1969年に藤圭子デビュー後新宿25時間キャンペーンをスポーツニッポン朝刊で取り上げたことで業界内外に大きな反響を呼び起こし大ブレイクのきっかけとなった。

1993年から1999年までの7年間に渡り日本レコード大賞の審査委員長を務め、その後は制定委員を務め、2005年日本レコード協会レコード倫理審査会学識経験者委員に任命された。

演歌界・歌謡曲界において広い人脈と人望があり、三田明など業界関係者の一部からは親しみをもって「業界のドン」、「統領」などと呼ばれている。また、阿久悠とは旧知の仲である[3]

映画テレビドラマなどにも出演しており、舞台「妻への詫び状 作詞家星野哲郎物語」(大阪松竹座)には水前寺清子の父親役で出演した。

現在、茨城県にゆかりのある県外居住の各界著名人が茨城県をPRする「いばらき大使」に任命されている[要出典]

2023年5月13日、神奈川県の自宅で膵がんにより死去[2]。86歳没。同年、第65回日本レコード大賞特別功労賞を受賞[4]

出演番組

  • BS歌謡最前線(2001年 - 2002年、NHK BS2) - 司会

著書

脚注

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.508
  2. ^ a b "音楽プロデューサー小西良太郎さん死去 86歳 膵がん 「舟唄」「雨の慕情」「夜桜お七」プロデュース". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 15 May 2023. 2023年5月15日閲覧
  3. ^ a_m_0614. “『4月(卯月)、桜花爛漫!そして今日は夏日の暑さ。』”. 三田明の思いつきBlog. 2023年5月15日閲覧。
  4. ^ 伊集院静さん、『日本レコード大賞』特別功労賞受賞 訃報を受け…記者会見で追加発表”. ORICON NEWS. 株式会社oricon ME (2023年12月6日). 2023年12月6日閲覧。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小西良太郎」の関連用語

小西良太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小西良太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小西良太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS