その他の文官
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毛玠(もう かい、字・孝先) ボサボサ頭の小さな老人。全く新しい屯田制を考えている者として荀彧に人材抜擢される。老いて、話すより筆をとる方が早く説明が済むため、大量の竹簡とともに曹操の前に現れた。 陳琳(ちん りん、字・孔璋) 声:檜山修之 元袁紹軍幕僚で建安七子の一人。官渡大戦前夜の曹操の常識破りな宣戦布告に対し、「宣戦誣告」での対抗を提案。彼の文才は曹操を激昂させると共に感嘆させた。袁家滅亡後は曹操に招かれ、曹操や曹植の導く「新しい言葉の世界」の到来に歓喜する。その後も曹植とは親交を保ち、曹操の後継者にも彼を推していたようである。建安21年の南征において、曹植の遠征記に発奮し中原に安住し続けることで自らの才が堕落することを恐れ、他の七子と共に従軍を志願する。しかし疫病を患い陣没。 宋忠(そう ちゅう、字・仲子) 荊州の儒者。官渡大戦時、自身が身を寄せる劉表に対し、袁・曹どちらにも与せず中立を保つことを進言するが、それを逆手に劉表から二人を取り持つため、使者となることを要請される。荊州降服後は中原の学士と交わり、「曹操」という人物を量ることで時代の転換点を悟り、戦後経営に尽力することを誓った。 文庫版発売以降の増刷本では官渡大戦時の紹介はされていない(全く外見の異なる人物であるため修正され別人扱い)。 杜襲(と しゅう、字・子緒) 曹操軍幕僚。赤壁大戦前夜、孫権軍攻撃への慎重論の中心人物として登場。八方に伸びた髭が特徴。赤壁後も参謀として地方や中央で曹操に振り回されながらも様々な提言をする。 華歆(か きん、字・子魚) 曹操軍参謀。元孫策幕下。赤壁前夜、対孫権軍主戦論者の中心として初登場し、杜襲らの慎重論と対立する。杜襲とはその後も揃って登場することが多い。元孫策幕下であったためか、孫権のことを何か思うところがあるかのように「仲謀」と字を呼びすてにする。 蔡瑁(さい ぼう、字・徳珪)、張允(ちょう いん) 元劉表配下の参謀の二人。荊州降伏後に登場。降伏兵の内情を曹操に訴えていたが、異民族との交流や賈詡からの話を経て曹操に惹かれる。新たな自分を予感していたが、奇襲に訪れた甘寧に殺害された。 荀顗(じゅん ぎ、字・景倩) 荀彧の四子。極めて生真面目な性格に加え、儒学の影響が強いことから、荀粲からはカビ臭いと評されている。 荀粲(じゅん さん、字・奉倩) 荀彧の末子。奔放な性格の持ち主。老荘思想の影響を強く受けており、儒学的な思想を否定している。 崔琰(さい えん、字・季珪) 「儒」を象徴する人物の一人。曹操の唯才に対しあくまで人物に「才」と「徳」は不可分と考えている。司馬懿を高く評価している。曹操に媚び諂う現在の腐り果てた儒者の情勢を嘆き、本来の「儒」の誇りと権威をとり戻そうとする。その覚悟を曹操から認められながらも、楊訓を推挙した罪に問われて禁固され、信念を貫き刑具に頭を打ち据え自害した。 杜畿(と き、字・伯侯) 西涼攻めで初登場。曹操に「とっつきにくい顔」とからかわれながらも二千石の郡太守として曹操軍の兵站を一挙に担う。兵站のスペシャリストとしてその後の戦でも後方支援に徹する。また、漢中攻防戦では兵糧をおとりに黄忠を誘い出すことにも成功する。 賈逵(か き、字・梁道) 西涼攻めで初登場。頭部の大きなこぶが特徴。曹操にそのこぶを育てた「激しい怒り」を認められ、いきなり弘農郡の代理太守に任じられる。 丁斐(てい ひ、字・文侯) 正史では曹操の同郷で古参の配下だが本作では西涼攻めに際して曹操が賈詡に紹介した不届き者の一人として登場する。収賄の罪で投獄されていた。賄賂で得た金は全て牛馬の購入に充てていた。曹操からは、牛馬の扱いに長けた人物として紹介される。馬超が曹操を襲撃した際、曹操を救うべく牛馬を放して状況を混乱させた。 楊沛(よう はい、字・孔渠) 西涼攻めに際して曹操が賈詡に紹介した不届き者の一人。法に厳格なあまり高官に怪我を負わせてしまい、髠刑を受けて投獄されていた。曹操からは、融通という物がまるでない人物として紹介される。無表情に力技で、指揮下の兵士の喧嘩を仲裁する。 婁圭(ろう けい、字・子伯) 西涼攻めに際して曹操が賈詡に紹介した不届き者の一人。常に不満をブツブツと呟いている。曹操からは「うぬぼれ具合は賈詡と双璧の漢朝一の嫌われ者」と紹介される。 鍾繇(しょう よう、字・元常) 西涼攻めで初登場。とても長い耳毛が生えている。この耳毛はセンサーのように反応し、時たまに上を向くことがある(曹操が現れる前ぶれになど)。魏諷のクーデターに際しては、魏諷の仕官を推挙したのが鍾繇であったことから、連座し処罰の対象となった。 徐奕(じょ えき、字・季才) 西涼攻めで登場。乱後の関中復興のために集められた人材の一人。城市と治水の修復計画を担当。 鄭渾(てい こん、字・文公) 西涼攻めで登場。乱後の関中復興のために集められた人材の一人。農事を担当。 董昭(とう しょう、字・公仁) 曹操の魏公就任を提案する幕僚たちの中心人物。その提案には、曹操幕下の者たちに功績に見合った位を与え、彼らの不満を解消させる意図があった。しかしそれは曹操の帝位簒奪にも繋がるとして、大いに荀彧を悩ませることになる。 韋康(い こう、字・元将) 涼州刺史。涼州の乱後、馬超と和議を結ぶも、裏切られて馬超に殺された。 魏諷(ぎ ふう、字・子京) 物語終盤に登場。強い眼力と極度に縮れた毛髪が特徴。養父は曹操の徐州虐殺の生き残りで、赤子の頃から少年時代の孔明によって煽動家としての運命を決定付けられていた。学問の場に赴き「崇息観(すうそくかん)」と呼ばれる独特の呼吸法を基とする思想によって、中央の士大夫層を中心に同志を増やす。関羽の樊城攻略の際に大規模なクーデターを起こすも、計画は事前発覚していたため即鎮圧されて、曹丕によってその首を斬られる。 銭申(せんしん)という猿を連れている。銭申もまた、陳禕が捕えられ拷問を受けた際に処刑されている。 涼茂(りょう ぼう、字・伯方) 曹操の魏王就任時に登場。就任の祝辞を述べて良いのか悪いのか、曹操の表情からは全く見当がつかず困惑していた。 王粲(おう さん、字・仲宣)、応瑒(おう とう、字・徳璉)、徐幹(じょ かん、字・偉長)、劉楨(りゅう てい、字・公幹) いずれも建安七子。建安21年の南征において、曹植の遠征記を読み発奮し中原に安住し続けることで自らの才が堕落することを恐れ、他の七子と共に従軍を志願する。遠征先の合肥にて疫病を患い、全員陣没。 陳矯(ちん きょう、字・季弼) 魏郡の治安責任者。投獄された崔琰の様子を曹操に報告する。 呉質(ご しつ、字・季重)、朱鑠(しゅ しゃく)、陳羣(ちん ぐん、字・長文) いずれも司馬懿とともに曹丕の四友。曹丕と四友全員で、漢中の軍事撤退を曹操に進言する。しかし激怒した曹操にそれを完全否定され、畏縮し切ってしまった。 陳禕(ちん い) 魏諷の同志の一人。何晏から「鼻息男(はないきおとこ)」と名付けられる。何晏の密告で捕えられ拷問を受けた結果、魏諷の乱が事前発覚し、即鎮圧されることになる。手酷い拷問を受け、魏諷の前に姿を現した時には精神は崩壊してしまっていた。他の仲間とともに射殺される。 宋度(そう たく)、王昭(おう しょう)、王耽(おう たん)、張泉(ちょう せん)、劉偉(りゅう い) 魏諷の同志たち。順に、宋忠の長子、王粲の長子、次子、張繡の長子、劉廙の実弟。魏諷の乱に加担するも、計画は事前発覚していたため即鎮圧されて、全員射殺された。
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