「禁煙ファシズム」批判とは? わかりやすく解説

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「禁煙ファシズム」批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 11:08 UTC 版)

山崎正和」の記事における「「禁煙ファシズム」批判」の解説

1980年代以降日本における喫煙規制強化に対しては、過剰な公権力介入であるとして「禁煙ファシズム」などと批判している。養老孟司との対談でも中学時代喫煙体験と、「70歳以上の人に阿片解禁した幸せ老人増えるかもしれない」との考え示し禁煙ファシズム」を強く批判した山崎喫煙規制批判に関して日本禁煙学会理事長作田学らは2007年9月13日付で山崎宛て公開質問状発表した

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「禁煙ファシズム」批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:10 UTC 版)

小谷野敦」の記事における「「禁煙ファシズム」批判」の解説

現在のタバコ運動は「禁煙ファシズム」であると主張し、『禁煙ファシズムと戦う』を共著出版している。受動喫煙問題視する風潮喫煙規制について、排煙の害を隠蔽しようとする自動車メーカー石油会社陰謀だという説を唱えている。自身1日40本の煙草を吸うヘビースモーカーであり、著書すばらしき愚民社会』において、結婚考えている相手嫌煙家だったので、1999年ごろ禁煙外来通院した禁煙失敗したとしている。小谷野はさらに、「禁煙外来行ってやめられなかった私は、身体障害者として認定してもらいたいそのことはいずれ厚生労働省正式に要請するだろう」とも発言している。 JR東日本一部列車除き車内全面禁煙したことに対して禁煙措置取りやめを求めて訴訟起こしたが、棄却されている。また、訴状において、自らが閉所恐怖症であり、喫煙できない症状悪化を来たすとの主張をしている。「大気汚れた東京で、たばこの煙ぐらいを問題にすること自体ばかばかしい」「健康に害を及ぼすものはほかにもいろいろあるのに、たばこだけが狙い撃ちされている」 というのが小谷野主張である。また、他の連載コラム等において、自らが禁煙プラットホーム敢えて喫煙し駅員注意されるクレーム付けたり怒鳴ったりしていることを明らかにしている。 2004年10月15日には、やはり反禁煙家である筒井康隆東京都千代田区パレスホテルにて初対面果たした。このとき小谷野筒井から愛煙家団体「Go smoking友の会」への参加求められたが、「嫌煙権論者とは喧嘩しないという主宰者方針気に食わない」との理由によりこの誘い拒否小谷野はさらに筒井から喫煙者嫌煙権論者との公開シンポジウムにも参加するよう誘われたが、「嫌煙権論者は馬鹿ばかりであって論争するに値いしない」との理由によってこの誘いをも拒否した筒井書かれた。ただし小谷野自身は、この時の対面について「私は「嫌煙派とのシンポジウム」を断ったわけではなく、やっても新聞等が報じいだろうし、たとえ嫌煙派が議論負けても、負けたとかバカだったとかは死んで報道せず「議論平行線たどった」などと書くだけだろうから、ムダだろうと思い黙っていただけです。」と述べている。 また、1999年大阪大学を、耐えられなくなって辞めて以来27近く大学公募応募してきたが、2004年に、比較文学公募で、明らかに私より業績のない者が採用されたのを機に応募もやめてしまった。大学禁煙ファシズムひときわ厳しいし、それと戦っている私を採用する大学などというものはもうないだろう」 とも述べ、自らが阪大辞任以後、どの大学でも常勤の職を持てずにいる背景にも「禁煙ファシズム」の存在があるとの見解示している。ただし小谷野は「地方立派な大学への就職平川先生斡旋してくれたことがあって、ただ飛行機乗れない私がそんな遠方へ行くのは不可能だったから断った」とも発言している。 『週刊現代2008年8月2日号では「何よりも私が不愉快なのは、禁煙運動家の人たちとは議論成立しないことです」 と言いつつも、「以前日本禁煙学会理事長公開討論やりたいと言ってきたことがありますが、応じませんでした。どうせ禁煙運動家を動員して、こちらを袋叩きにするのは目に見えいるからです」 と述べたまた、「私はいま『禁煙ファシズムと戦う会』を結成していますが、かくも理不尽な世の中立ち向かうには、もはや『日本喫煙者党』(笑)結成して国政に出るしかないでしょう心ならずも世間の隅に追いやられた愛煙家たちの熱い支持得られるものと確信しています」 とも発言している。 ただし「咽頭病気抱える者の前では喫煙控えるべき」とブログ書き込んでいる。同時に喫煙者である室井尚喫煙に関する文章出し山形浩生抗議したときは、山形を以下のように非難した。 なんで(中略)室井尚にからむんだ山形浩生。俺にからめよ俺に。それともあれか、俺には勝てないとか、ネットしか見ないネットバカを洗脳しようとか、そういう意図か。(中略)なんで山形データって米国ばっかりなんでしょ。日本データはないのかしら。(中略)喘息だとか喉が弱いとか言っている人がいるが、そういう人の前で煙草吸ってもいいとは私は書いていない — 小谷野償うをもってせよ 2005-09-30 俺にからめよ山形浩生 また、これらの言論活動過程で、元喫煙者フリーライター藤本祥和から2006年9月30日ミクシィ投稿された『禁煙ファシズムと戦う』についてのレビューの中で、「論理組み立て方基本ができていない」などと批判されたため、同年10月1日に、小谷野自身のミクシィアカウントで「自分ではかつて吸っていながらやめられたというのでファシストになるというのはずいぶん身勝手な話だ」と反撃し論争へと発展藤本は、ミクシィ上で小谷野公開討論申し入れたものの、小谷野登録名変更した上で藤本コメント禁止にし、最後まで議論応じなかった。その後藤本はこれらの応酬を自らのウェブサイト揶揄的に紹介している。山本一郎は、この論争事件を、『週刊SPA!2006年12月26日号に掲載したネット上でおきたゴシップをまとめた「mixi事件ベスト10」において、「ミクシィ2ちゃんねる化」ととして第3位取り上げている。 その後、このやり取りきっかけで、2009年2月16日に、小谷野藤本名誉毀損公然侮辱刑事告訴することを発表し、「訴状提出三月入ってからだろうから、期日四月だろう」と予告藤本ウェブサイト記事小谷野敦逃亡記」「小谷野敦文通メモ」、ブログ「ワイネフパーム・ブログ」の一部削除ならびに慰謝料300万円支払い要求した。ただし藤本は、訴状届いたのは2009年4月になってからだったと主張している。2009年5月12日東京地裁民事49部第530法廷第1回口頭弁論が行われ、6月23日第2回口頭弁論が行われて結審9月17日下された判決で、小谷野側の全面敗訴となった敗訴確定後、小谷野藤本提訴した動機について「私が被告提訴したのは、匿名掲示板で「たばこ屋の看板娘だったお母様への感情整理しきれないのでしょう」などと、亡き母を引き合い出して私を揶揄したからだ」 と説明している。

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