「山野一」としてとは? わかりやすく解説

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「山野一」として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 04:42 UTC 版)

山野一」の記事における「「山野一」として」の解説

大学4年時に青林堂漫画持ち込み、『月刊漫画ガロ1983年12月号に山野一名義掲載された「ハピネスインビニール」で漫画家デビューする。後に山野は「これからバブル突入してこうとい時期日本人誰もが調子づき、浮かれ騒いでいた。文学部ボンクラ学生だった私にも、就職先はないではなかったが、そういう道になんの魅力感じなかった。ドロップアウトする事に不安がないではなかったが、迷い未練もなかった」と当時振り返っている。 以後、『ガロ』で精神内面知覚神経テーマとする作品描いて活動するが、デビューから2年間は原稿料がまったく支払われず、アルバイト飢えしのいでいたという。しかし、この労働経験について山野は「非常に拭い難い汚点残してしまった。自分労働やそれに伴う人間関係心底憎悪していたので、この時期は一番辛かった。私は社会人として適性、特に人間関係に難があった。商社徹夜ファックス番とかバイクでの書類運びホテルマッサージ電話番など、なるべく人と接しないですむ仕事選んだ丸一日アパートこもって好きな漫画描いていられる日は幸福だった傍目にはとてもそうは見えなかっただろうが」と語っており、人生汚点であったとしている。 1985年2月には初の単行本となる『夢の島で逢いましょう』が青林堂より刊行されるが、後に『ガロ』に寄稿したコラムの中で「初め単行本出て印税というものを受け取った時は思わず目頭熱くなった、あんまり安くて。それも旋盤工月給程度金額御丁寧にも5分割払って下さるのだ。商品としての自分漫画価値がいかに低いものであるという事つくづく思い知らされた」と述べており、家賃1万6千円風呂なし共同便所殺風景な四畳半木造アパートガス電話止められ荒廃した漫画家生活を送っていたという。 バブル景気社会全体軽佻浮薄方向流れ始めた1980年代半ばになると、ある特徴持った漫画作品断続的に発表する様になる。それらの作品群現代社会舞台とする作品で、主役となる人物窮乏あるいは荒廃した生活環境置かれている、または置かれることになる。 『ガロ1985年7月号から1986年7月号まで全12回に渡り連載した長編『四丁目の夕日』では、町工場経営者息子である高校生中心として下町懐かし風景中に潜む格差貧困家族の絆友情崩壊といった悲劇漫画史上に残る過激な表現織り交ぜて執拗に描き人間狂気至らしめる「不幸のどん底」を滑稽さの入り混じった入念な表現余すことなく徹底的に描き切った本作現在に至るまで不朽の怪作」として読み継がれるロングセラーとなっている。 特殊歌人枡野浩一漫画編集者浅川満寛は、不幸が不幸を呼ぶ徹底して救いのない山野作品について「この過剰ともいえる徹底したしつこさ凡百作家想像力はるかに超えている」と評しており、特殊漫画家根本敬は、山野描き出す不幸のどん底を「逆に大乗仏教的ですらある」と評価している。後に山野電子書籍版『四丁目の夕日』の「あとがき」の中で「社会になじめない劣等感バブル調子こいた世相への憎悪そういった鬱屈を、この極端な作品を描くことで解消し、心のバランスとっていたのかもしれない」と述べ当時置かれていた環境による心理的重圧をもとに本作構想したことを明かしている。 また『四丁目』の頃、山野将来悲観した両親から「田舎水道局員か警察官になれ」と声をかけることもあったというが、山野はこれを拒否しついでに自分単行本を何冊か実家送りつけ、驚愕かつ落胆した両親から「おちんぽのようなものをあまりハッキリ描いてはいけないよ」と腫れ物に触るよう返事をよこされたという。この件について山野は「それまで自分仕事の内容を、親に伝えことはなかった。それをいきなり著書送りつけられ、それには目を覆いたくなるような内容が、執念深く描き込まれていたわけだから、気の毒な話だ。一人息子はすでに十分おかしくなっていると思って不思議はない五十になった思い返してみるに、本当に気が狂ってたような気もする」と後年回想している。 以後1990年代半ばまでに発表され複数短編長編どぶさらい劇場でも、同様に念入り滑稽な表現伴いながら、貧乏あるいは不自由な状態に置かれ、「とことん抑圧」される人物主な役割果たしている。その一方で1980年代後半作品として、短編のうしんぼう」のように、不明瞭非現実的な生活の光景丹念に描いたものがある。また、大日如来」による「救済」についての短編荒野のガイガー探知機」のように、仏教象徴描き仏教の用語を使用している作品がある。その一方で人物の現実認識変調あるいは幻覚体験題材とする作品もある。 また1980年代後半から1990年代前半にかけては『EVE』『SMファン』『SMセレクト』『月刊HEN』『月刊FRANK』『漫画スカット』『純情エンジェル』『S&Mスナイパー』(現在すべて休廃刊)などのエロ本自販機本SM誌、エロ劇画誌)で複数短編作品発表している。一方で漫画パチンカー』『コミックスコラ』『リイドコミック』『グランドチャンピオン』などの一般向け青年誌でも作品発表している。 現代社会舞台とするオムニバス作品カリ・ユガ』の一部エピソードでは、ヒンドゥー教の用語が用いられ宗教的な世界観象徴表現されている。それらの特徴加えてコミックスコラ誌上に全24回に渡って連載された「山野一」としては最後長編作品となる『どぶさらい劇場』では、神の世界など特殊な描写交えて新興宗教活動とその終焉壮大なスケール描いている。

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