「山野一」として
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大学4年の時に青林堂に漫画を持ち込み、『月刊漫画ガロ』1983年12月号に山野一名義で掲載された「ハピネスインビニール」で漫画家デビューする。後に山野は「これからバブルに突入していこうという時期、日本人の誰もが調子づき、浮かれ騒いでいた。文学部のボンクラ学生だった私にも、就職先はないではなかったが、そういう道になんの魅力も感じなかった。ドロップアウトする事に不安がないではなかったが、迷いも未練もなかった」と当時を振り返っている。 以後、『ガロ』で精神の内面や知覚神経をテーマとする作品を描いて活動するが、デビューから2年間は原稿料がまったく支払われず、アルバイトで飢えをしのいでいたという。しかし、この労働経験について山野は「非常に拭い難い汚点を残してしまった。自分は労働やそれに伴う人間関係を心底憎悪していたので、この時期は一番辛かった。私は社会人としての適性、特に人間関係に難があった。商社で徹夜でファックス番とかバイクでの書類運び、ホテルのマッサージの電話番など、なるべく人と接しないですむ仕事を選んだ。丸一日アパートにこもって、好きな漫画を描いていられる日は幸福だった。傍目にはとてもそうは見えなかっただろうが」と語っており、人生の汚点であったとしている。 1985年2月には初の単行本となる『夢の島で逢いましょう』が青林堂より刊行されるが、後に『ガロ』に寄稿したコラムの中で「初めて単行本が出て印税というものを受け取った時は思わず目頭が熱くなった、あんまり安くて。それも旋盤工の月給程度の金額を御丁寧にも5分割で払って下さるのだ。商品としての自分の漫画の価値がいかに低いものであるかという事をつくづく思い知らされた」と述べており、家賃1万6千円、風呂なし共同便所の殺風景な四畳半の木造アパートでガスも電話も止められ、荒廃した漫画家生活を送っていたという。 バブル景気で社会全体が軽佻浮薄な方向に流れ始めた1980年代半ばになると、ある特徴を持った漫画作品を断続的に発表する様になる。それらの作品群は現代社会を舞台とする作品で、主役となる人物は窮乏あるいは荒廃した生活環境に置かれている、または置かれることになる。 『ガロ』1985年7月号から1986年7月号まで全12回に渡り連載した長編『四丁目の夕日』では、町工場経営者の息子である高校生を中心として下町の懐かしい風景の中に潜む格差・貧困・家族の絆や友情の崩壊といった悲劇を漫画史上に残る過激な表現を織り交ぜて執拗に描き、人間を狂気に至らしめる「不幸のどん底」を滑稽さの入り混じった入念な表現で余すことなく徹底的に描き切った。本作は現在に至るまで「不朽の怪作」として読み継がれるロングセラーとなっている。 特殊歌人の枡野浩一や漫画編集者の浅川満寛は、不幸が不幸を呼ぶ徹底して救いのない山野作品について「この過剰ともいえる徹底したしつこさは凡百の作家の想像力をはるかに超えている」と評しており、特殊漫画家の根本敬は、山野の描き出す不幸のどん底を「逆に大乗仏教的ですらある」と評価している。後に山野は電子書籍版『四丁目の夕日』の「あとがき」の中で「社会になじめない劣等感、バブルで調子こいた世相への憎悪、そういった鬱屈を、この極端な作品を描くことで解消し、心のバランスをとっていたのかもしれない」と述べ、当時置かれていた環境による心理的重圧をもとに本作を構想したことを明かしている。 また『四丁目』の頃、山野の将来を悲観した両親から「田舎の水道局員か警察官になれ」と声をかけることもあったというが、山野はこれを拒否し、ついでに自分の単行本を何冊か実家に送りつけ、驚愕かつ落胆した両親から「おちんぽのようなものをあまりハッキリ描いてはいけないよ」と腫れ物に触るような返事をよこされたという。この件について山野は「それまで自分の仕事の内容を、親に伝えることはなかった。それをいきなり著書を送りつけられ、それには目を覆いたくなるような内容が、執念深く描き込まれていたわけだから、気の毒な話だ。一人息子はすでに十分おかしくなっていると思っても不思議はない。五十になった今思い返してみるに、本当に気が狂っていたような気もする」と後年回想している。 以後、1990年代半ばまでに発表された複数の短編や長編『どぶさらい劇場』でも、同様に念入りで滑稽な表現を伴いながら、貧乏あるいは不自由な状態に置かれ、「とことん抑圧」される人物が主な役割を果たしている。その一方で、1980年代後半の作品として、短編「のうしんぼう」のように、不明瞭で非現実的な生活の光景を丹念に描いたものがある。また、「大日如来」による「救済」についての短編「荒野のガイガー探知機」のように、仏教の象徴を描き、仏教の用語を使用している作品がある。その一方で、人物の現実認識の変調あるいは幻覚体験を題材とする作品もある。 また1980年代後半から1990年代前半にかけては『EVE』『SMファン』『SMセレクト』『月刊HEN』『月刊FRANK』『漫画スカット』『純情エンジェル』『S&Mスナイパー』(現在すべて休廃刊)などのエロ本(自販機本、SM誌、エロ劇画誌)で複数の短編作品を発表している。一方で『漫画パチンカー』『コミックスコラ』『リイドコミック』『グランドチャンピオン』などの一般向け青年誌でも作品を発表している。 現代社会を舞台とするオムニバス作品『カリ・ユガ』の一部のエピソードでは、ヒンドゥー教の用語が用いられ、宗教的な世界観や象徴が表現されている。それらの特徴に加えて『コミックスコラ』誌上に全24回に渡って連載された「山野一」としては最後の長編作品となる『どぶさらい劇場』では、神の世界など特殊な描写も交えて新興宗教の活動とその終焉を壮大なスケールで描いている。
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