広島東洋カープ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 08:21 UTC 版)
広島東洋カープ | |
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Hiroshima Toyo Carp | |
会社名 | 株式会社広島東洋カープ |
創設 | 1949年12月15日 |
今シーズン | |
2024年の広島東洋カープ | |
ロゴデザイン | |
所属リーグ | |
セントラル・リーグ | |
歴代チーム名 | |
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本拠地 | |
MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(広島市民球場) (広島県広島市南区) | |
収容人員 |
33,000人 (MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島) |
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永久欠番 | |
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獲得タイトル | |
日本一(3回) | |
リーグ優勝(9回) | |
成績(タイトル以外) | |
日本シリーズ出場(8回) (太字は勝利した年) | |
3勝5敗 | |
クライマックスシリーズ出場(6回) (太字は勝利した年、斜体は第1ステージ敗退) | |
2勝4敗 | |
球団組織 | |
オーナー |
松田元 (代行:松田一宏) |
運営母体 | 松田家(現・マツダ、旧・東洋工業の創業者一族)[1] |
球団社長 | 松田元 |
監督 | 新井貴浩 |
選手会長 | 堂林翔太 |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒732-8501 広島市南区南蟹屋二丁目3番1号 マツダスタジアム内 |
設立 | 1956年1月[2] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 3240001009427 |
事業内容 | プロ野球興行事業等 |
代表者 | 松田元(代表取締役社長) |
資本金 | 5,000万円[3] |
純利益 |
8億6500万円 (2023年12月期)[4] |
総資産 |
156億3400万円 (2023年12月期)[4] |
従業員数 | 120人(2009年12月時点) |
決算期 | 12月31日 |
主要株主 |
松田家関連(42.7%) * 松田元 20.4% * 松田弘 12.2% * 松田勢津子 10.1% マツダ関連(34.2%) * マツダ 34.2% 球団子会社(18.5%) * カルピオ 18.5% (2005年現在) |
主要子会社 | カルピオ(完全子会社) |
関係する人物 | 松田恒次、松田耕平 |
外部リンク | https://www.carp.co.jp/ |
特記事項:1949年6月創業。勢津子は耕平の妻、元は耕平の長男、弘は耕平の次男でアンフィニ広島社長。 |
広島東洋カープ | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2019年9月8日 - |
ジャンル | 野球 |
登録者数 | 約6.71万人 |
総再生回数 | 約776万回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年1月20日時点。 |
広島県を保護地域とし、広島市南区にあるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を専用球場(本拠地)としている。また、二軍(ウエスタン・リーグ所属)の本拠地は山口県岩国市にある広島東洋カープ由宇練習場である。現存するセ・リーグ6球団では唯一、三大都市圏外に本拠地を置く球団である。
特定の親会社を持たない市民球団を源流としており[注釈 1]、原爆に打ちひしがれた広島の街に希望の光を与えることを創設目的とする[出典 1]という、他球団と比較して特異な歴史を有する [出典 2][注釈 2]。カープはお好み焼き、マツダ、広島電鉄などと共に広島の戦後復興の象徴として語られることが多い [出典 3]。地域密着型プロスポーツの先駆けである[6]。
地元・広島の自動車メーカーであるマツダが球団の3分の1以上の株式を保有する筆頭株主であり、球団名の「東洋」もマツダの旧社名「東洋工業」に由来する[27]。ただし、マツダは広島東洋カープを「持分法を適用していない非連結子会社」と位置づけており[28]、経営陣の派遣は行う[注釈 3]ものの、球団への資金提供(赤字補填など)といった積極的関与は行っていない。むしろ、マツダ創業家である松田家一族の所有株式のみを合計するだけで議決権ベースでは過半数に達する[注釈 4]。歴代のオーナーも松田家から出ていることから、実質的には同家による同族経営であるとの見方もある[29]。「市民が直接株式を保有する」という意味での市民球団ではないが「特定の企業に全面依存せずに経営を成り立たせている」という意味では今なお市民球団のイメージを有する[出典 4]。なお、本記事では前身の広島カープ時代についても述べる。
注釈
- ^ 球団設立の際に終戦からの復興という名目で公的資金が投入された。自治体がプロスポーツという私企業に資本援助を行った例はカープ設立以外に他になかったが、1996年Jリーグのアルビレックス新潟が設立される際に、同様に自治体が資本金援助を行った[5]。
- ^ 鈴木明と池井優は「日本のプロ野球の初期に於いて、新聞拡販や鉄道の沿線開発を目的とした野球興行というような考え方と、都市を背景にした広島カープみたいなチームの発想が存在したというのは厳然たる事実」「アメリカの場合は都市対抗的な要素が非常に強く、アメリカ人に『ロッテ対日本ハム』と言ったら、アメリカ人は『菓子屋と肉屋が試合をやるのか?』とゲラゲラ笑う」などと述べている[17]。山本浩二は1981年の週刊誌のインタビューで「広島で試合やると、打てないと地元ファンからヤジらるんですワ。市民はカープは自分の持ち物やと思うとるからヤジもエゲツない。これはツラい。他球場の方がいいね」などと話した[18]。
- ^ 現在の常務取締役球団本部長である鈴木清明はマツダからの出向である。
- ^ 第3位株主の「カルピオ」は広島東洋カープの完全子会社であるため、議決権を有しない。
- ^ 終戦直後、プロ野球を地方で行う場合、連絡先を務めた団体に「木曜会」というものがあり、これは共同通信社に本部を置く主な地方新聞社が集まり結成したもので、地方試合は、その土地の有力新聞社に興行を一任した。これはヤクザ関係興行団体の入る隙を与えないようにすることが狙いで、プロ野球が戦後、比較的健全な発達を遂げた理由の一つともいわれる。河口は「木曜会」の幹事で、カープ誕生以前の広島でのプロ野球開催は「木曜会」主催によるもの。広島大学設立資金の一部もここから拠出された[出典 11]。
- ^ 発起人代表。
- ^ 当初はパ・リーグに加盟申請したが、2リーグ分立の混乱と、当時パ・リーグの中心であった毎日オリオンズが大阪タイガースのパ・リーグ加盟に注力していた(プロ野球再編問題 (1949年)参照)ことで、広島の加盟申請は放置されてしまった。そのためセ・リーグに加盟申請したところ、すぐに受理されたものであった[53]。
- ^ 同じくセ・リーグの新規球団であった大洋ホエールズ(親会社は大洋漁業)は選手獲得資金として6,000万円かけたが、広島の予算は800万円であったという[58]。
- ^ 選手は中国、四国地方出身者を中心に交渉中だが監督には広島出身の石本秀一氏(現松竹ロビンス監督)を招く意向で近く実現するものと見られている、と書かれている[59]。
- ^ 結成披露式で、石本秀一監督(手前)らカープ選手が一列に並ぶ中国新聞の写真位置は[出典 20]、2017年8月30日放送『鯉のはなシアター』(広島ホームテレビ)第137回「特別編 鯉が歩んだあの場所は今」で[66]、桝本壮志と長谷部稔が当地を訪れ、長谷部が後方の福屋などとの位置関係から[63]「広島中央警察署前の交差点あたりでないか」と話した[66]。
- ^ 親会社を持たない市民球団の経営主体は、設立予定の株式会社広島野球俱楽部の資本金2500万円(1株50円[20]、発行数50万株)を、広島県・市をはじめとする県下の自治体からの出資金で大半を賄うことになっていた。ところが、各自治体の年度予算に組み込まれてはいても、執行の時期はまちまちで、財源の都合で資金拠出が数カ月遅れになることも珍しくなかった。広島野球俱楽部の出資期限は4月20日だったが、その時点で払い込まれたのは13万株、金額にして650万円に過ぎなかった[52]。5月以降、ようやく各自治体からの出資が相次いだものの、最終的に予定額2,000万円の半分しか集まらなかった。このため「株式会社広島野球クラブ」の設立は1950年9月までずれ込んだ[35]。
- ^ 後に二軍選手達は労働基準監督署に訴えたが、「プロ野球選手は労働者に該当せず」と受け入れてもらえなかった。球団からは音沙汰なく、彼らはそのまま解雇となった[72]。
- ^ 専売公社は戦前から市街地南東部(現在の南区)の皆実町に広島工場を置き(現在のゆめタウン広島の場所)、各種の運動部も活躍していたため、広島市民にとっては縁の深い企業だった。
- ^ 「鯉(こい)昇れ、焦土の空へ 「カープを愛した初代監督と広島市民の奇跡のドラマ」で富田靖子が演じた砂田時枝は、若手選手たちの合宿所としてアパートを提供し、10年間、一日三食300円の低料金で賄いを続けたが、この間球団からの支払いは滞ることが多く、着物や家具などを続々売って選手たちの食費に充てたのはドラマに描かれた通りである。1958年の三篠合宿所完成までこれが続き、立て替え額は当時の金で200万円にのぼり、球団からの返済は何年も後のことだった[60]。
- ^ 当時、球団は12月15日までに選手に対して、契約更改を書類で申し込む規則になっていたのだが、印刷会社の手違いにより、名古屋に帰郷していた長谷川には期日までに書類が届かなかったことに端を発する。
- ^ 具体的な処罰内容は決められておらず、「3割を切ったら自動的に解散と決めていた」という記述は誤りである。
- ^ この年は松竹ロビンスが最下位で、勝率は.288(34勝84敗2分)。規定通りロビンスは、旧・大洋ホエールズとの合併を余儀なくされた[85]。また、これとは別に、シーズン終了後の代表者会議で勝率3割を割った松竹に合併を申し入れたが拒否されている[86]。
- ^ 白石のスカウトによって西鉄でくすぶっていた大和田明を獲得している。
- ^ 山陽木材防腐(現ザイエンス)、中国新聞社、中国醸造、中国電力、中国電気工事(中電工)、東洋工業、広島ガス、広島銀行、広島相互銀行(現もみじ銀行)、広島電鉄、フジタ工業(現フジタ)(五十音順)[60]。
- ^ 現在の日本記録は1978年から1997年にかけて南海ホークス→福岡ダイエーホークスが記録した19年連続。
- ^ a b ただし、クライマックスシリーズを介さない日本一から最も長く遠ざかっているのは中日ドラゴンズで、クライマックスシリーズを介さない日本一は1954年まで遡りかつ唯一である。
- ^ a b ただし、特殊ルールを介さない日本一から最も長く遠ざかっているのは千葉ロッテマリーンズで、最後の特殊ルールを介さない日本一はロッテオリオンズ時代の1974年まで遡る。
- ^ 古葉は山本浩二に監督やるように言ったが山本は現役一本にこだわり監督要請を断り阿南が監督に就任した。
- ^ この年後半戦開始時点で1位巨人と最大7.5ゲーム差を逆転しての優勝。
- ^ この年は勝率ではなく勝利数で優勝チームを決定していたため引き分けの数だけ試合数が増える(実質再試合制)のため勝利数の差=ゲーム差であった。
- ^ 8月19日からの本拠地での阪神3連戦はブラウン監督が母親の葬儀に参列するため一時帰国し、ジェフ・リブジー監督代行になった。その3試合目でリブジーが退場した後は小早川毅彦コーチが監督代行代理に就いた。
- ^ a b 他球団への移籍を1度も挟むことなく、初代・市民球場時代から一貫して広島に在籍し続けているフランチャイズ・プレイヤーでもある。
- ^ a b 中日ドラゴンズも平成時代に1度もリーグ優勝をした上で日本一になれなかった。また、年間勝率1位によるリーグ優勝をした上での日本一にまで視野を広げれば、千葉ロッテマリーンズも該当する。
- ^ 月間20勝はNPBでも2002年8月に西武ライオンズが記録して以来17年ぶりであった[170]。
- ^ 特にオリックスにはマツダスタジアムで全敗している。
- ^ プロ野球記録は1953年に大映スターズが記録した59イニング。
- ^ 同試合は後楽園球場で開催されたが、対戦相手の読売ジャイアンツに45打数25安打で打率.556と打ち込まれた[175]。
- ^ ただし、チーム名として英単語を使用する場合には、文法上の複数形に関わらず語尾にsを付ける流儀があり、「カープス(Carps)」は間違いではない。実際、ナショナルホッケーリーグにはトロント・メープルリーフスというチームがある。leafにsを付けてチーム名としているが、文法上の複数形はleavesである。
- ^ スポーツ紙などの紙上見出しでは「コイ」の略称も見られる。
- ^ ユニフォームを赤に代えようとしたが、経費の都合でヘルメットと帽子のみになった。「我が道」山本浩二 スポーツニッポン 2010年10月14日より。
- ^ 純粋な外様は、監督では日本人では別当薫が、外国人を含めるとジョー・ルーツが最後。コーチ・二軍監督では芦沢真矢(芦沢優)・中利夫(中登志雄)・伊勢孝夫・片岡新之介らが在籍した。
- ^ 福岡ソフトバンクホークス(2011年 - )、読売ジャイアンツ(2016年 - )[195]。
- ^ 日本シリーズのナイター開催は、東京オリンピックとの兼ね合いで例外として開催された1964年を除き、1994年から導入。2016年に出場する以前は、最初の出場が1975年で最後の出場が1991年であり、全試合がデーゲーム開催であった。
- ^ 2016年以前の対戦相手は、阪急、近鉄、西武であるが、対戦当時の本拠地はいずれもオープン球場であった
- ^ ただし、中日ドラゴンズは2007年、千葉ロッテマリーンズは2010年にクライマックスシリーズを年間勝率2位以下から制し、そのまま日本一になっている。また、クライマックスシリーズを介さない日本一制覇については中日ドラゴンズは1954年が唯一であり、千葉ロッテマリーンズは1974年が最後となっている。
- ^ 現に中畑清(当時・日本テレビ野球解説者)が日本テレビの特番『刑務所24時』の取材で広島刑務所を慰問中に緊急企画で中畑が巨人時代のユニフォームでソフトボールに出場し対戦し、刑務官や受刑者から拍手喝采を浴びた。
- ^ 当時とは異なりベルトレスではなくカバー付ベルト仕様に変更。
- ^ セ・リーグではスポンサー広告の掲示がホーム用ユニフォームにしか認められていないため。
- ^ 正確にはKが左右反転している。
- ^ 旧市民球場が開業した1957年と1958年には同球場での広島主管試合が開催された例。
- ^ 京セラドーム大阪で対阪神戦を開催している[218]。
- ^ 2004年までは、当時1試合1億円とされた放映権料を支払うテレビ局への配慮からナイターを重視していたが、2005年のセパ交流戦導入を契機に、観戦客の利便性を考慮してデーゲームの主催を増やした。
- ^ ただし当時はまだ1リーグ時代からの名残りで「フランチャイズ制度」の概念がなく、球団事務所所在都道府県であってもビジター(アウェー)扱いとなる試合は数多くあった(フランチャイズ制が正式に採用されたのは1952年から)。
- ^ 現在は主催試合を開催していないが、主にヤクルト主催試合においてビジターとして対戦することがある。
- ^ 長野オリンピックスタジアムでのパ・リーグ初の公式戦は、2000年5月20日・21日の西武ライオンズ対オリックス・ブルーウェーブ。
- ^ 2017年以外にも、大阪ドーム(京セラドーム大阪)が完成する以前の1997年以前にもこのようなケースは頻繁にあった。
- ^ 北海道日本ハムファイターズでは2006年以降使用休止となり、2009年から永久欠番になった。
- ^ ミッキーが登場した公式戦に限定すれば、カープは15勝7敗と大きく勝ち越している。
- ^ 大阪タイガースや阪急軍のブラスバンド演奏は数々の文献に出ている。
- ^ トランペット応援の発祥がカープにあるという指摘は『プロ野球ヤジ講座』(おかひろみ編・自由国民社)[286]、『巨人がプロ野球をダメにした』(海老沢泰久著・講談社)[287]にも記述されている。
- ^ 試合途中で結果が出ていないときは「…今日のカープは…」と歌われることもある。
- ^ a b 18時台は広島局のみ放送。山口・松江・鳥取・岡山はローカルニュース終了後の18:59飛び乗り。
- ^ a b 2019年以降に山口・松江・鳥取・岡山では、総合テレビの木曜・金曜のレギュラー番組で人気番組が増加したことから、それらを優先する編成方針により同時ネットを見送る傾向がある。
- ^ 2015年までのナイター開催時はトップ中継は別制作(TBSチャンネル1ではこのメンバーで全編放送)で、リレー中継は地上波中継と同じメンバーが担当する形式だったが、2016年以降のデーゲーム開催は原則としてリレー中継のみ(13:30試合開始時はトップ&リレー中継)実施し、中国放送では16時以降も中継するが、地上波同時放送とはならず、TBSチャンネル1との同時放送となる。
- ^ 対阪神戦は毎日放送が、交流戦の対ソフトバンク戦はRKB毎日放送が各々スタッフを現地に派遣し(何れも年度によってはネット受けの場合あり)、対中日戦はCBCテレビが名古屋からのオフチューブで放送(2021年は広島県ではテレビ新広島が放送したため、中国放送の協力で映像の別制作を行った)。交流戦の対日本ハム戦については北海道放送が解説者やリポーターを派遣して同時ネットするか、別実況で放送するかのいずれかとなるが、後者の場合は乗り込みまたは札幌からのオフチューブのどちらかとなる。2002年には、開幕戦の対横浜戦をTBSテレビ(関東ローカル)とBS-i(現:BS-TBS)が両局共通の実況で中国放送とは別制作で放送。2003年までは地方開催のデーゲームをTBSテレビ主導の中国放送や開催地地元局との共同制作で関東・広島県・開催地・ビジター地元局などの任意ネットで放送したことがあった。
- ^ 番組タイトルの「完全カープ主義」は広島テレビ放送のステーションキャッチコピー(2015年1月 - )でもある。
- ^ 対阪神戦は読売テレビが別実況で放送。交流戦の対日本ハム戦は札幌テレビが、対ソフトバンク戦は福岡放送が何れもネット受けで放送。対中日戦を中京テレビで、交流戦の対楽天戦をミヤギテレビで何れも中継する場合はネット受け・別実況のどちらかとなる。
- ^ 対巨人戦のナイター中継・デーゲーム中継は日本テレビ・広島テレビで放送開始時間が異なるため、BS日テレ・日テレジータス向けの中継(地上波とは別制作)を前者は18時台のみ、後者は14時台のみに限り何れもネット受けで放送する(2018年以降はBS日テレ・日テレジータスのみで中継する試合もそのままネット受けで放送することがある)。また、対阪神戦のナイター中継では読売テレビでは18時台にトップナイターの編成を行っていないため、18時台は読売テレビからの裏送り放送となる他、年度により広島テレビが乗り込みによる別制作を行ったことがある。また対楽天戦では宮城県内で他系列またはNHKでの放送となった場合にも、球団制作映像の利用とミヤギテレビの制作協力で乗り込み自社制作を行ったことがある。
- ^ 2018年のみロッテ戦もロッテ球団制作でBS日テレで放送した。
- ^ 2012年までは要員の都合に応じてテレビ朝日と広島ホームテレビのどちらかが制作して、地上波広島県ローカルとの同時放送と衛星波単独放送のどちらかとしていた。
- ^ 対中日戦はメ~テレが、対阪神戦は朝日放送テレビが、交流戦の対ソフトバンク戦は九州朝日放送が各々スタッフを派遣し、同じく交流戦の対日本ハム戦は北海道テレビが札幌からのオフチューブで、対楽天戦は東日本放送が仙台からのオフチューブで各々中継。なお、2008年までは、テレビ朝日主導制作による一部地域ネットの週末デーゲーム中継(年度により広島ホームテレビが地元向けを別制作)が行われたほか、2018年は対阪神戦で朝日放送テレビとの共同制作による特別企画込みの同時ネットが企画されたが、雨天中止となった。
- ^ オリックス主催も同様の制作形態となるが、対広島戦は2021年までの時点で放送実績がない。
- ^ フジテレビTWO向けと実況を別制作のため、アナウンサーと解説者の両方またはどちらかがテレビ朝日からの派遣の場合あり。
- ^ ソフトバンク主催時は九州朝日放送(主にBS単独放送時)とテレビ朝日(主に福岡県または九州ブロックとの別制作時)のいずれかが制作するが、対広島戦は2021年までの時点で放送実績がない。
- ^ 対阪神戦は関西テレビがスタッフを派遣して別実況で放送。交流戦の対日本ハム戦は北海道文化放送で中継する場合は解説者(主に建山義紀)を派遣してのネット受け(年度によりリポーターも派遣)または別実況のどちらかとなる。対中日戦は2003年までに東海テレビが散発的に解説者・リポーター派遣の上でのネット受けまたは別実況のどちらかで行っただけだった(1991年には広島ホームテレビでの中継日に東海テレビがテレビ新広島の協力で、2021年はテレビ新広島の中継日にCBCテレビが中国放送の協力で1試合を別制作)。また、1990年代までは年度により週末のデーゲームをフジテレビ主導のテレビ新広島との共同制作でビジター地元局(対中日戦の東海テレビなど)を含む一部地域への任意ネットとして放送したことがあった。
- ^ リーグ優勝が懸かる試合や一部クライマックスシリーズの中継は広島県向けで放送。
- ^ 2021年からデーゲームと週末ナイターの放送を休止しているため。
出典
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