下妻藩 江戸時代以前の下妻城主

下妻藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 01:02 UTC 版)

江戸時代以前の下妻城主

多賀谷家

6万石

  1. 多賀谷重経

歴代藩主

松平(水戸)家

10万石 親藩

  1. 松平鶴千代

松平(越前)家

3万石 親藩

  1. 松平忠昌

松平(久松)家

3万石。譜代

  1. 松平定綱

幕府領

元和5年(1619年)- 正徳2年(1712年)

この間、土井利勝の所領に加えられ、2代藩主利隆の時代まで下総古河藩領として治められた後、万治元年(1658年)に3代藩主利重の家督相続に際して弟の利益に1万石で分与された。利益は延宝3年(1675年)に古河藩5代藩主となり、下妻1万石に加えて元の古河藩領から4割減で6万石を相続するが、延宝9年(1681年)に同じ7万石で志摩鳥羽藩へ転封となる[1]

井上家

1万石 譜代

  1. 井上正長
  2. 井上正敦
  3. 井上正辰
  4. 井上正意
  5. 井上正棠
  6. 井上正広
  7. 井上正建
  8. 井上正廬
  9. 井上正民
  10. 井上正健
  11. 井上正誠
  12. 井上正信
  13. 井上正兼
  14. 井上正巳

幕末の領地

明治維新後に真壁郡1村(旧幕府領1村、旧旗本領1村)が加わった。

関連項目

外部リンク

先代
常陸国
行政区の変遷
1712年 - 1871年 (下妻藩→下妻県)
次代
茨城県

  1. ^ a b 『藩史大事典 第2巻 関東編』(雄山閣出版、1989年)では、「下妻藩」の項(p.69-77)に土井家時代のことは一切記載せず、利益も歴代藩主のうちに挙げておらず、松平定綱の掛川移封から井上正長の入部まで「ほとんど幕領であった」(p.69)とする。『江戸時代 全大名家事典』(東京堂出版、2008年)の「土井家 下総国古河藩」の項(p.543-548)では、利益が万治元年に「常陸国下妻で1万石を領し」(p.546)と記載している。


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