持ち駒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 10:22 UTC 版)
戦後のエピソード
太平洋戦争の直後、日本を統治していた連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) が、相手から奪った駒を味方として再利用する将棋を、捕虜を虐待する野蛮なゲームとして禁止しようとした。それを知った升田幸三は「将棋の駒の再利用は人材を有効に活用する合理的なものである」「チェスは捕虜を殺害している。これこそが捕虜虐待である。将棋は適材適所の働き場所を与えている。常に駒が生きていて、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である」「男女同権といっているが、チェスでは王様(キング)が危機に陥った時には女(クイーン)を盾にしてまで逃げようとする」とGHQに直談判したという[7]。
脚注
参考文献
- 増川宏一『将棋の駒はなぜ40枚か』(集英社新書、2000年)ISBN 4-08-720019-1
- 木村義徳『持駒使用の謎――日本将棋の起源』(日本将棋連盟、2001年)ISBN 4-8197-0067-7
関連項目
- ^ 大橋宗古『象戯図式』(寛永13年 (1636))。同書については木村義徳『持駒使用の謎』の291ページで紹介されている。
- ^ 木村義徳『持駒使用の謎』、日本将棋連盟、2000年。
- ^ 佐伯真一「「普通唱導集」の将棋関係記事について」(遊戯史学会紀要『遊戯史研究 5』、1993年)。
- ^ 増川宏一『将棋』(ものと人間の文化史23、法政大学出版会、1977年)、186ページ。
- ^ 増川『将棋2』(ものと人間の文化史23-2、法政大学出版会、1985年)、31~32ページ。
- ^ 山本亨介『将棋文化史』(光風社書店、1973年)、41ページ。同書は朝日新聞社から1963年に出版されたものの増補改訂版である。
- ^ 升田幸三『名人に香車を引いた男』 p.223「GHQ高官の度肝を抜く」より
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