軍事都市
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「ニーンブルク/ヴェーザー」の記事における「軍事都市」の解説
ニーンブルクは軍事都市として三十年戦争にまで遡る長い伝統がある。1943年、ムトラ兵舎に Infanterie–Nachrichten–Ersatz–Kompanie 269 と非常設の Regimentsschule 269 が配備された。1950年から1996年にオスナブリュックに移転するまでここにはイギリス陸軍ライン軍団第21工兵連隊が駐留した。1975年からドイツ連邦軍はランゲンダムのクラウゼヴィッツ兵舎を利用して第3装甲旅団の大部分と第1砲兵連隊の一部を配備している。現在ここにはCIMICセンター(民事協力センター)と第912電子戦司令部が駐屯している。
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軍事都市
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ヘッセン=カッセル選帝侯領への編入後、フリッツラーの軍事都市としての歴史は始まった。1803年にはすでに、ヴォルフハーゲンにあった竜騎兵「フリードリヒ連隊」の騎兵一個中隊がフリッツラーに移転し、その後すぐに同連隊の残りの部隊もこれに続いた。普仏戦争勃発後の1806年、モルティエ将軍中立の選帝侯領を占領した。小規模ながら良質の軍備を有し、熟練したヘッセン選帝侯軍は武装解除され、解体され、ナポレオン・ボナパルトによって新設されたヴェストファーレン王国軍に編入された。 選帝侯領回復後、1815年にヘッセン選帝侯軍第1軽騎兵連隊がフリッツラーに配置された。市はこの連隊のために2,000ターラーを費やしてホッホツァイトハウスを糧秣庫として整備した。1840年、この駐屯軍は再び廃止された。ヘッセンの体制闘争の間、1850年から1851年にフリッツラーは、いわゆる「シュトラーフバイエルン」に支配された。 1866年秋のプロイセンによるヘッセン=カッセル併合後、フリッツラーは1867年にプロイセンの駐屯地となり、最初は騎兵隊の、その後は第1野戦砲兵中隊第11部隊の騎兵が駐屯することとなり、市の北側に新しい駐屯施設複合体が設けられた。この中隊は1870年から1871年にヴァイセンブルクの戦い(1870年8月4日)、ヴェルトの戦い(同年8月6日)、セダンの戦い(同年9月1日)およびパリ包囲戦に参加した。1872年から1914年8月の第一次世界大戦開戦まで、第11野戦砲兵連隊がフリッツラー(およびカッセル)に駐屯した。 両大戦間もこの街は、ドイツ軍第5砲兵中隊第11騎兵隊の駐屯地であり続けた。第三帝国時代の軍備拡張によって兵舎は著しく増強された。カッセラー通り沿いの古いヴァッター兵舎には第5砲兵中隊と、第9, 29, 45, 65砲兵中隊の各一部といくつかの教育部隊および補充部隊が配置された。1935年から1938年に広さ 300 ha の軍用飛行場が市の南のエーダー川下流沿いに新設された。1938年4月から戦闘機が、1944年から1945年まで夜間戦闘機が配備された。後の連邦大統領ヴァルター・シェールは若い頃、パイロットとしてフリッツラーに一時期駐在した。この飛行場建設のために、元々7つあった見張り施設の1つであるアウエヴァルトは1937年に解体された。1941年から1945年までこの飛行場はデッサウ飛行機・自動車工場AGの第2工場として利用された。1943年10月1日に新型の「Ju 352」のプロトタイプがこの飛行場から発進した。 第二次世界大戦終戦後、広大な古い砲兵隊基地は廃止され、その建物は民間(難民宿舎、産業用地、学校、体育館、乗馬ホール、移動サーカスの冬営地など)に転用された。旧兵舎の建物は、そのほとんどがやがて取り壊された。一方、軍用飛行場は占領軍に利用された。初めは1945年4月から7月までアメリカの第404および第365戦闘群が駐留し、P-47 サンダーボルトが配備された。その後1945年9月から1946年8月まで第366戦闘航空群が、1946年8月から1947年6月まで第27戦闘航空群が駐屯し、ともにやはりサンダーボルトが配備されていた。1947年から1951年まで第14保安連隊の司令部と第1大隊(1948年に改組され、第14機甲騎兵連隊と改名された)が旧飛行場に駐留した。1951年にアメリカ軍はフルダとバート・ハースフェルトに移転し、フリッツラーにはフランス軍(AMX-13軽戦車を有する第5驃騎兵連隊の一部)が駐屯することとなった。 1956年の連邦軍設立に伴い、占領軍は撤退し、その基地に連邦軍の擲弾兵大隊および砲兵大隊が置かれ、1957年からは陸軍航空隊も駐在した。これにより軍用飛行場は、フリッツラー陸軍飛行場となった。1997年に第1航空機械化旅団が編成され、これにより陸軍は初めて高速での航空移動が可能な歩兵を手に入れることとなった。2002年から第210衛生センターが配置された。2006年に連邦軍の再編に伴い、第1航空機動旅団の司令部と司令部中隊が配置された。また、同じくこの基地に駐屯する、戦闘ヘリコプター Typ BO105を有する第36攻撃ヘリコプター連隊「クールヘッセン」がこの旅団に含まれる。
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軍事都市
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基地や兵站などの軍事機関が立地している都市。陸軍、空軍主体の場合は広大な平地に、海軍主体の場合は軍艦の停泊に適した港湾に面して位置する事が多い。 日本の例:旭川、むつ、三沢、横須賀、相模原、福生、舞鶴、広島(第二次大戦まで)、熊本、呉、春日、久留米、玖珠、佐世保、大村、新富、都城、鹿屋、名護、嘉手納 日本国外の例:キール、ウラジオストク、サンディエゴ、ノーフォーク、ヴィスビュー、オデッサ、ポーツマス、トゥーロン(以上海軍)、コロラドスプリングス(空軍)
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