NWA時代
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ジュニアハイスクール時代はボクシングとレスリングで活動し、本人によれば1969年に15歳でプロレスラーとしてのキャリアをスタート、デビュー戦の相手だったラリー・ヘニングには秒殺されたという(デビューは1973年ともされる)。 AWAのカナダでの拠点であったウィニペグにてジョブ・ボーイとしてキャリアを積み、1974年よりアメリカのNWA圏に進出。1975年にはテキサスのダラス地区にて、マッドドッグ・バション、キム・ドク、スーパースター・ビリー・グラハムなどと対戦した。 1976年にロサンゼルス地区のNWAハリウッド・レスリングに参戦して、ラフファイトを主体とするヒールのスコッチ・ギミックを確立。フラッグシップ・タイトルのアメリカス・ヘビー級王座を巡るチャボ・ゲレロとの抗争で注目を浴びる。同年12月12日にはサンバーナーディーノにて、ミル・マスカラスとのシングルマッチも行われた。 1977年8月、新日本プロレスに初来日。入場時にはバグパイプを吹き、外国人エース格のスタン・ハンセンやブラックジャック・マリガンのパートナーに起用されてメインイベントにも出場、アントニオ猪木ともシングルマッチで対戦している。その後、一時的に覆面レスラーのマスクド・カナディアン(The Masked Canadian)に変身し、1978年1月27日にロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムにて、その4日前にニューヨークでホセ・エストラーダを破りWWFジュニアヘビー級王者となった藤波辰巳の初防衛戦の挑戦者を務めた。同年3月にはマスクド・カナディアンとして新日本プロレスに再来日、シリーズ開幕戦である3月3日の高崎市大会にて、藤波の凱旋帰国試合の相手も務めている。翌1979年1月11日には本拠地のロサンゼルスでも、藤波のWWFジュニアヘビー級王座に素顔で再挑戦した。 その間も、アメリカでは太平洋岸を活動拠点に、1978年6月24日にはサンフランシスコ地区にてムーンドッグ・ロニー・メインからUSヘビー級王座を奪取。その後はオレゴンおよびワシントン地区のパシフィック・ノースウエスト・レスリングで活動、リック・マーテルと組んでザ・シープハーダーズとNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を争い、シングルではバディ・ローズやスタン・スタージャックと抗争した。 1980年10月より、ジム・クロケット・ジュニアの運営するノースカロライナのミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングに登場。11月1日にトーナメントの決勝にてポール・ジョーンズを破り、空位となっていたTV王座を獲得。翌1981年1月27日にはリック・フレアーからNWA・US王座(後のWCW・US王座、現在のWWE・US王座)を奪取、保持していたTV王座を返上してフレアーにプレゼントするなどの挑発を行い、以降もフレアーとは抗争を繰り広げ、両者は生涯の宿敵・親友ともなった。ミッドアトランティックではグレッグ・バレンタイン、リッキー・スティムボート、ジャック・ブリスコ、ワフー・マクダニエルなどのトップスターとも抗争を展開、同地区認定のタイトルを再三獲得した。 1983年5月には全日本プロレスへの参戦で5年ぶりの来日が実現。6月3日に旭川市総合体育館にて、同じくミッドアトランティックでの抗争相手だったディック・スレーターと組み、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。来日中は馬場や鶴田、天龍源一郎とのシングルマッチも組まれた。 1980年代初頭にはジム・バーネットの主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにてカラー・コメンテーターやインタビュアーも兼任、トークの才能を発揮した。ジョージアではトミー・リッチやダスティ・ローデスと抗争し、ザ・グレート・カブキとも共闘していたが、一時的にベビーフェイスのポジションにも回り、アブドーラ・ザ・ブッチャー、マスクド・スーパースター、イワン・コロフらと対戦した。
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NWA時代
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1974年にNWAのジム・クロケット・プロモーションズ(ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング / 略称:MACW)で創設されたNWAミッドアトランティックTV王座を前身とする。MACWにおけるTV番組用のタイトルとして、トーナメントの決勝でオレイ・アンダーソンを破ったダン・ミラーを初代王者に、イワン・コロフ、ポール・ジョーンズ、アンジェロ・モスカ、ミスター・レスリング、リック・フレアー、グレッグ・バレンタイン、ルーファス・ジョーンズ、リッキー・スティムボート、バロン・フォン・ラシク、ジョニー・ウィーバー、マスクド・スーパースター、ロディ・パイパー、ロッキー・ジョンソン、ジミー・バリアント、ロン・バス、ジョー・ルダック、レロイ・ブラウン、マイク・ロトンド、ディック・スレーター、ザ・グレート・カブキなどの強豪が戴冠している。 1980年代中盤、MACWオーナーのジム・クロケット・ジュニアはビンス・マクマホン・ジュニアのWWFの全米侵攻に対抗し、NWA会長への2度目の就任を果たすとNWA世界ヘビー級王者のリック・フレアーを独占、同時期にジョージア地区、後にセントラル・ステーツ地区やフロリダ地区を吸収合併するなど、NWAでの勢力を拡大していった。こうした経緯もあり、ミッドアトランティックTV王座は1985年3月にNWA世界TV王座と名称を変更。タリー・ブランチャードから王座を奪取したダスティ・ローデスが初代王者となった。 NWA世界選手権となった後は、主にMACWのテレビ番組『ワールド・チャンピオンシップ・レスリング』内で争われ、アーン・アンダーソン、リック・スタイナー、ニキタ・コロフらが王者となったが、間もなくMACWも経営が悪化し、最終的にジム・クロケット・ジュニアはテッド・ターナーに団体を売却することとなった。
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NWA時代
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兄ジャック・ブリスコと同様に学生時代はレスリングで活動し、1967年2月にAAU大会のオクラホマ州チャンピオンとなる。同年3月、オクラホマ州立大学を中退してプロデビュー。1969年7月には日本プロレスに初来日している。日本では「中西部の若駒」なる異名が付けられていた。 1970年代は主にジャックのタッグパートナーとして、フロリダのCWFやジョージアのGCWなどNWAの南部テリトリーを中心に活動。CWFでは1971年2月16日、ジャックとのブリスコ・ブラザーズ(The Brisco Brothers)でジ・インフェルノス(フランキー・ケイン&ロッキー・スミス)からNWAフロリダ・タッグ王座を奪取。以降、同年4月13日にザ・ファンクス、1972年11月16日にスプートニク・モンロー&ノーベル・オースチン、1977年1月10日にボブ・ループ&ボブ・オートン・ジュニア、同年6月3日にスーパースター・ビリー・グラハム&オックス・ベーカー、1978年1月25日にミスター・サイトー&イワン・コロフ、同年6月13日にはサイトー&ミスター・サトなど、数々のチームを破り同王座を再三獲得した。 特に、ファンクスとはオーキー(オクラホマ人)対テキサン(テキサス人)、インディアン対カウボーイという図式のもと1980年代初頭まで南部各地で抗争を展開しており(ポジションはブリスコ兄弟がベビーフェイス、ファンク兄弟がヒール)、GCWでは1978年から1979年にかけてNWAジョージア・タッグ王座を争った。同王座は1975年にも1月にロッキー・ジョンソンと組んでバディ・コルト&ロジャー・カービーから、10月にボブ・バックランドと組んでトール・タナカ&ミスター・フジから奪取しており、ジャックとのコンビでは1979年11月30日にもマスクド・スーパースター&オースチン・アイドルを破って獲得している。 シングルでは1974年5月21日、GCWにてジョージア版のNWAサウスイースタン・ヘビー級王座をボビー・ダンカンから奪取。CWFでは同年8月にパク・ソン、1975年11月にハーリー・レイス、1978年7月にディック・スレーターを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルであるNWA南部ヘビー級王座を通算3回獲得した。抗争相手ファンクスの本拠地アマリロでは、1976年4月16日にスコット・ケーシーからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取している。この間、日本には1974年1月、1975年7月、1976年7月に全日本プロレスに参戦した。 1980年代に入ってからもフロリダのCWFを主戦場に、エディ・グラハムやダスティ・ローデスの懐刀となってブッカー業務も担当。選手としてはジュニアヘビー級戦線で活動し、1981年5月にトーナメントの決勝でヒロ・マツダを破り、NWAフロリダ・ジュニアヘビー級王座を獲得。同年9月16日にはレス・ソントンからNWA世界ジュニアヘビー級王座を奪取、兄と合わせての「NWA2階級制覇」を果たした。 1983年からはノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区にもジャックとの兄弟コンビで参戦、同地区ではヒールのポジションに回り、リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッド、ワフー・マクダニエル&マーク・ヤングブラッドなどの人気チームとNWA世界タッグ王座を争っている。
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