NWA時代とは? わかりやすく解説

NWA時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 06:36 UTC 版)

ロディ・パイパー」の記事における「NWA時代」の解説

ジュニアハイスクール時代ボクシングレスリング活動し本人によれば1969年15歳プロレスラーとしてキャリアスタートデビュー戦相手だったラリー・ヘニングには秒殺されたという(デビュー1973年ともされる)。 AWAカナダでの拠点であったウィニペグにてジョブ・ボーイとしてキャリア積み1974年よりアメリカNWA圏に進出1975年にはテキサスダラス地区にて、マッドドッグ・バションキム・ドクスーパースター・ビリー・グラハムなどと対戦した1976年ロサンゼルス地区NWAハリウッド・レスリング参戦してラフファイト主体とするヒールのスコッチ・ギミックを確立。フラッグシップ・タイトルのアメリカス・ヘビー級王座を巡るチャボ・ゲレロとの抗争注目を浴びる同年12月12日にはサンバーナーディーノにて、ミル・マスカラスとのシングルマッチ行われた1977年8月新日本プロレス初来日入場時にはバグパイプ吹き外国人エース格のスタン・ハンセンブラックジャック・マリガンパートナー起用されメインイベントにも出場アントニオ猪木ともシングルマッチ対戦している。その後一時的に覆面レスラーマスクド・カナディアン(The Masked Canadian)に変身し1978年1月27日ロサンゼルスオリンピック・オーディトリアムにて、その4日前ニューヨークでホセ・エストラーダ破りWWFジュニアヘビー級王者となった藤波辰巳初防衛戦挑戦者務めた同年3月にはマスクド・カナディアンとして新日本プロレス再来日シリーズ開幕戦である3月3日高崎市大会にて、藤波の凱旋帰国試合相手務めている。翌1979年1月11日には本拠地ロサンゼルスでも、藤波のWWFジュニアヘビー級王座素顔で再挑戦したその間も、アメリカでは太平洋岸を活動拠点に、1978年6月24日にはサンフランシスコ地区にてムーンドッグ・ロニー・メインからUSヘビー級王座奪取その後オレゴンおよびワシントン地区のパシフィック・ノースウエスト・レスリングで活動リック・マーテル組んでザ・シープハーダーズNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座争いシングルではバディ・ローズスタン・スタージャック抗争した。 1980年10月より、ジム・クロケット・ジュニア運営するノースカロライナのミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングに登場11月1日トーナメント決勝にてポール・ジョーンズ破り空位となっていたTV王座獲得。翌1981年1月27日にはリック・フレアーからNWA・US王座(後のWCW・US王座現在のWWE・US王座)を奪取保持していたTV王座返上してフレアープレゼントするなどの挑発行い以降フレアーとは抗争繰り広げ両者生涯宿敵親友ともなった。ミッドアトランティックではグレッグ・バレンタインリッキー・スティムボートジャック・ブリスコワフー・マクダニエルなどのトップスターとも抗争を展開、同地区認定タイトル再三獲得した1983年5月には全日本プロレスへの参戦5年ぶりの来日実現6月3日旭川市総合体育館にて、同じくミッドアトランティックでの抗争相手だったディック・スレーター組みジャイアント馬場&ジャンボ鶴田インターナショナル・タッグ王座挑戦している。来日中は馬場鶴田天龍源一郎とのシングルマッチ組まれた。 1980年代初頭にはジム・バーネット主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにてカラー・コメンテーターインタビュアー兼任トーク才能発揮したジョージアではトミー・リッチダスティ・ローデス抗争し、ザ・グレート・カブキとも共闘していたが、一時的にベビーフェイスポジションにも回りアブドーラ・ザ・ブッチャーマスクド・スーパースターイワン・コロフらと対戦した

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NWA時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 17:36 UTC 版)

WCW世界TV王座」の記事における「NWA時代」の解説

1974年NWAジム・クロケット・プロモーションズ(ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング / 略称:MACW)で創設されNWAミッドアトランティックTV王座前身とする。MACWにおけるTV番組用のタイトルとして、トーナメント決勝オレイ・アンダーソン破ったダン・ミラー初代王者に、イワン・コロフポール・ジョーンズアンジェロ・モスカミスター・レスリングリック・フレアーグレッグ・バレンタインルーファス・ジョーンズリッキー・スティムボートバロン・フォン・ラシクジョニー・ウィーバーマスクド・スーパースターロディ・パイパーロッキー・ジョンソンジミー・バリアントロン・バスジョー・ルダックレロイ・ブラウンマイク・ロトンドディック・スレーターザ・グレート・カブキなどの強豪戴冠している。 1980年代中盤、MACWオーナージム・クロケット・ジュニアビンス・マクマホン・ジュニアWWF全米侵攻対抗しNWA会長への2度目の就任を果たすとNWA世界ヘビー級王者リック・フレアー独占同時期にジョージア地区、後にセントラル・ステーツ地区フロリダ地区吸収合併するなど、NWAでの勢力拡大していった。こうした経緯もあり、ミッドアトランティックTV王座1985年3月NWA世界TV王座と名称を変更タリー・ブランチャードから王座奪取したダスティ・ローデス初代王者となったNWA世界選手権となった後は、主にMACWのテレビ番組ワールド・チャンピオンシップ・レスリング』内で争われアーン・アンダーソンリック・スタイナーニキタ・コロフらが王者となったが、間もなくMACWも経営悪化し最終的にジム・クロケット・ジュニアテッド・ターナー団体売却することとなった

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NWA時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 14:23 UTC 版)

ジェリー・ブリスコ」の記事における「NWA時代」の解説

ジャック・ブリスコ同様に学生時代レスリング活動し1967年2月AAU大会オクラホマ州チャンピオンとなる。同年3月オクラホマ州立大学中退してプロデビュー1969年7月には日本プロレス初来日している。日本では中西部若駒」なる異名付けられていた。 1970年代は主にジャックタッグパートナーとして、フロリダCWFジョージアGCWなどNWA南部テリトリー中心に活動CWFでは1971年2月16日ジャックとのブリスコ・ブラザーズ(The Brisco Brothers)でジ・インフェルノス(フランキー・ケイン&ロッキー・スミス)からNWAフロリダ・タッグ王座奪取以降同年4月13日ザ・ファンクス1972年11月16日スプートニク・モンロー&ノーベル・オースチン1977年1月10日ボブ・ループ&ボブ・オートン・ジュニア同年6月3日スーパースター・ビリー・グラハム&オックス・ベーカー1978年1月25日ミスター・サイトー&イワン・コロフ同年6月13日にはサイトー&ミスター・サトなど、数々チーム破り王座再三獲得した。 特に、ファンクスとはオーキー(オクラホマ人)対テキサンテキサス人)、インディアンカウボーイという図式のもと1980年代初頭まで南部各地抗争展開しており(ポジションブリスコ兄弟ベビーフェイスファンク兄弟ヒール)、GCWでは1978年から1979年にかけてNWAジョージア・タッグ王座争った。同王座1975年にも1月ロッキー・ジョンソン組んでバディ・コルト&ロジャー・カービーから、10月ボブ・バックランド組んでトール・タナカ&ミスター・フジから奪取しており、ジャックとのコンビでは1979年11月30日にもマスクド・スーパースター&オースチン・アイドル破って獲得している。 シングルでは1974年5月21日GCWにてジョージア版のNWAサウスイースタン・ヘビー級王座ボビー・ダンカンから奪取CWFでは同年8月パク・ソン1975年11月ハーリー・レイス1978年7月ディック・スレーター破り同地区のフラッグシップ・タイトルであるNWA南部ヘビー級王座通算3回獲得した抗争相手ファンクス本拠地アマリロでは、1976年4月16日スコット・ケーシーからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座奪取している。この間日本には1974年1月1975年7月1976年7月全日本プロレス参戦した1980年代入ってからもフロリダCWF主戦場に、エディ・グラハムダスティ・ローデス懐刀となってブッカー業務担当選手としてはジュニアヘビー級戦線活動し1981年5月トーナメント決勝ヒロ・マツダ破りNWAフロリダ・ジュニアヘビー級王座獲得同年9月16日にはレス・ソントンからNWA世界ジュニアヘビー級王座奪取、兄と合わせての「NWA2階級制覇」を果たした1983年からはノースカロライナNWAミッドアトランティック地区にもジャックとの兄弟コンビ参戦同地区ではヒールポジション回りリッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッドワフー・マクダニエル&マーク・ヤングブラッドなどの人気チームNWA世界タッグ王座争っている。

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