ブラックサタデー
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ブラックサタデー(Black Saturday)、暗黒の土曜日(あんこくのどようび)
- 1 ブラックサタデーとは
- 2 ブラックサタデーの概要
ブラック・サタデー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 14:33 UTC 版)
「ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング」の記事における「ブラック・サタデー」の解説
1984年7月14日(米国のプロレス業界内で『ブラック・サタデー(黒い土曜日)』と呼ばれる)、ビンス・マクマホンが、彼の当時全国拡大していたWWF(2002年5月にWWEに改名)のために、突然ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングとそのテレビ放映枠を買収した。 マクマホンは二つの大きな要素を過小評価していた。第1には異なる地域のファンの好みの違いであった。WWFのレスリングのスタイルは、GCWのそれとははっきりと異なっていた。第2に、ジョージア州(あるいは南部)のファンは、北部からやってきたヤンキーの会社が彼らのレスリングを占領した、ということに対してひどく憤った。 さらに、新番組『WWFワールド・チャンピオンシップ・レスリング』は、過去にWWFが放映していた番組『WWFチャンピオンシップ・レスリング』や『WWFオール=スター・レスリング』で放映された内容の焼き直しの試合ばかりであった。これに対してWTBSのオーナーのテッド・ターナーは怒り、WTBSのスタジオで新たにオリジナルの試合を組むことをWWFに望んだ。最終的にWWFは不定期にスタジオ収録の試合を番組で放映することになった。この当時、番組のリングアナはフレディ・ミラー、実況放送はゴリラ・モンスーンが務めた。 WWFバージョンとなった番組は、NWA時代に比べて低い視聴率しか得られなかった。その結果、1985年3月、マクマホンはジム・クロケット・ジュニアに土曜日の放送時間枠を売却した。クロケットはノースカロライナ州シャーロットを本拠地としたプロモーターで、ミッドアトランティック地区でNWAブランドの興行を運営していた。彼の団体、ジム・クロケット・プロモーションズがテレビ番組の制作を開始し、番組は『WCWサタデー・ナイト』に改名され、CNNセンターの改装された新しいスタジオ・アリーナで新たに始められた。 なお、GCW株主の残党オレイ・アンダーソンは、1984年7月に新団体「チャンピオンシップ・レスリング・フロム・ジョージア」を旗揚げしWWFに対抗していたが、1985年4月にジム・クロケット・プロモーションズに吸収された。
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