NWAトライステート
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「ビル・ワット」の記事における「NWAトライステート」の解説
1960年代末より、プロモーターのレロイ・マクガーク(英語版)が牛耳る地元オクラホマのNWAトライステート・プロモーションに参戦。以降、オクラホマとアーカンソーおよび深南部のルイジアナやミシシッピをサーキット・エリアとする同地区において、1970年代全般に渡ってエース・レスラー兼ブッカーを務めた。 フラッグシップ・タイトルであるNWA北米ヘビー級王座には、1970年4月12日にザ・スポイラー、1971年10月にダスティ・ローデス、1972年4月19日にビッグ・ジョン・クイン、同年5月15日にデール・ルイス、1975年11月26日にキラー・カール・コックス、1977年6月20日にスタン・ハンセンを破り、通算6回に渡って戴冠した(MSWA新設後の1980年1月5日にも、同王座の改称版であるミッドサウス北米ヘビー級王座をマイク・ジョージから奪取している。ワットにとっては、これがレスラーとしては最後のタイトル戴冠となった)。 その間、フロリダをはじめジョージアやアラバマなどのディープサウスにも参戦。トライステートでは絶対的なベビーフェイスだったが、他地区では主にヒールとして活躍し、ジョージアでは1973年から1974年にかけて、ミスター・レスリング2号とNWAジョージア・ヘビー級王座を巡る抗争を展開。フロリダでは1974年下期にダスティ・ローデスとNWAフロリダ・ヘビー級王座を争う一方、当時ジャック・ブリスコが保持していたNWA世界ヘビー級王座にも再三挑戦した。 日本には1974年1月、国際プロレス「'74パイオニア・シリーズ」への参戦で約7年ぶりの再来日が実現。ジェリー・ブラウン、バディ・ロバーツ、ブッチャー・バションらが同時参戦したシリーズにおいて外国人エースを務め、1月14日に寝屋川、19日に川崎市体育館にて、ストロング小林のIWA世界ヘビー級王座に連続挑戦した。28日には岩手県営体育館にてグレート草津と対戦したが、この試合はTBSで放送されていた『TWWAプロレス中継』の最終中継試合でもある。
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