NWA〜AWAとは? わかりやすく解説

NWA〜AWA

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 16:43 UTC 版)

ラリー・ズビスコ」の記事における「NWA〜AWA」の解説

1981年WWF離れてからは、ブルーノ・サンマルチノ興したペンシルベニアインディー団体IWF出場その後ジム・バーネット主宰するNWAジョージア地区主戦場に、ポール・オーンドーフトミー・リッチ、サンマルチノの息子デビッド・サンマルチノらと抗争した。1983年3月にはキラー・ブルックスから25000ドルNWAナショナル・ヘビー級王座買い取るというアングルを展開、タイトル4月30日剥奪されるが、6月5日トーナメント決勝ミスター・レスリング2号破り奪還成功している。この間1981年7月1982年10月に、サンマルチノの仲介全日本プロレス再来日した。 1984年からはAWA参戦持ち前マイクパフォーマンス才能活かし同時期にWWF悪党人気博していたロディ・パイパー意識したようなヒールとして活動するが、二番煎じの感は否めなかった(パイパー1986年4月7日レッスルマニア2ミスター・Tとボクシング・マッチを行ったように、ズビスコも同年4月20日AWA開催した "Wrestle Rock" なるイベントで元プロボクサーのスコット・レドゥーとボクシング・マッチを行っている)。同年下期からはマサ斎藤剛竜馬アメリカ修行中の高野俊二(スーパー・ニンジャ)ら日本人ヒール結託しニック・ボックウィンクルジミー・スヌーカマーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズミッドナイト・ロッカーズなどと抗争した。 1987年からはジム・クロケット・ジュニア運営するNWAミッドアトランティック地区転出するが、1989年よりAWA復帰同年2月7日ミネソタ州セントポール行われたバトルロイヤル優勝し、第36代のAWA世界ヘビー級チャンピオンとなる。以後ケン・パテラサージェント・スローターワフー・マクダニエルグレッグ・ガニアバロン・フォン・ラシク、そして因縁デビッド・サンマルチノらを相手防衛戦行った1990年2月10日新日本プロレス東京ドーム大会でマサ斎藤敗れ王座を失うが、4月8日セントポールにて奪回成功。しかし、活動停止寸前AWA見切りをつけ、同年12月WCW移籍タイトル剥奪されるが、翌年AWA崩壊したため、結果として彼が「最後AWA世界王者ということになった

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NWA〜AWA

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/06 05:18 UTC 版)

マーティ・ジャネッティ」の記事における「NWA〜AWA」の解説

全日本プロレス常連中堅外国人だったジェリー・オーツトレーニングを受け、1984年4月カンザスシティNWAセントラル・ステーツ地区デビュー当初師匠あやかりマーティ・オーツ(Marty Oates)をリングネームとしていたが、すぐにマーティ・ジャネッティMarty Jannetty)に改名しトミー・ロジャースとアップタウン・ボーイズ(The Uptown Boys)を結成ベビーフェイス新鋭として売り出されるシングルではジプシー・ジョーからセントラル・ステーツTV王座を、ミスター・ポーゴから同ヘビー級王座それぞれ奪取デビュー翌年1985年8月には早くも全日本プロレス初来日しているが、キャリア不足を露呈して技に失敗し後楽園ホール観客失笑を買うこともあった。 その後テキサスサンアントニオ地区から転戦してきた新人ショーン・マイケルズミッドナイト・ロッカーズ(The Midnight Rockers)を結成当時人気タッグチームロックンロール・エクスプレスロバート・ギブソン&リッキー・モートン)の二番煎じ関係者からは揶揄されたが、1986年5月にセントラル・ステーツ・タッグ王座獲得同年よりバーン・ガニアAWA移籍するAWAではバディ・ローズ&ダグ・サマーズアレックス・スミルノフ&ポール・デマルコ、バッド・カンパニーポール・ダイヤモンド&パット・タナカ)などのチーム抗争1987年1月27日にはローズ&サマーズからAWA世界タッグ王座奪取した同年12月27日にも、ポール・E・デンジャラスリー率いる "オリジナル" ミッドナイト・エクスプレスデニス・コンドリー&ランディ・ローズ)を下して再び同王座獲得している。この間ジェリー・ジャレットジェリー・ローラー主宰していたテネシー州メンフィスCWAにも参戦AWA南部タッグ王座2度渡って獲得した

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