NWA〜AWA
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1981年にWWFを離れてからは、ブルーノ・サンマルチノが興したペンシルベニアのインディー団体IWFに出場。その後はジム・バーネットの主宰するNWAジョージア地区を主戦場に、ポール・オーンドーフやトミー・リッチ、サンマルチノの息子デビッド・サンマルチノらと抗争した。1983年3月にはキラー・ブルックスから2万5000ドルでNWAナショナル・ヘビー級王座を買い取るというアングルを展開、タイトルは4月30日に剥奪されるが、6月5日にトーナメント決勝でミスター・レスリング2号を破り奪還に成功している。この間、1981年7月と1982年10月に、サンマルチノの仲介で全日本プロレスに再来日した。 1984年からはAWAに参戦。持ち前のマイクパフォーマンスの才能を活かし、同時期にWWFで悪党人気を博していたロディ・パイパーを意識したようなヒールとして活動するが、二番煎じの感は否めなかった(パイパーが1986年4月7日のレッスルマニア2でミスター・Tとボクシング・マッチを行ったように、ズビスコも同年4月20日にAWAが開催した "Wrestle Rock" なるイベントで元プロボクサーのスコット・レドゥーとボクシング・マッチを行っている)。同年下期からはマサ斎藤や剛竜馬、アメリカ修行中の高野俊二(スーパー・ニンジャ)ら日本人ヒールと結託し、ニック・ボックウィンクルやジミー・スヌーカ、マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズのミッドナイト・ロッカーズなどと抗争した。 1987年からはジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区に転出するが、1989年よりAWAに復帰。同年2月7日、ミネソタ州セントポールで行われたバトルロイヤルで優勝し、第36代のAWA世界ヘビー級チャンピオンとなる。以後、ケン・パテラ、サージェント・スローター、ワフー・マクダニエル、グレッグ・ガニア、バロン・フォン・ラシク、そして因縁のデビッド・サンマルチノらを相手に防衛戦を行った。1990年2月10日、新日本プロレスの東京ドーム大会でマサ斎藤に敗れ王座を失うが、4月8日にセントポールにて奪回に成功。しかし、活動停止寸前のAWAに見切りをつけ、同年12月にWCWに移籍。タイトルは剥奪されるが、翌年にAWAが崩壊したため、結果として彼が「最後のAWA世界王者」ということになった。
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NWA〜AWA
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「マーティ・ジャネッティ」の記事における「NWA〜AWA」の解説
全日本プロレスの常連中堅外国人だったジェリー・オーツのトレーニングを受け、1984年4月にカンザスシティのNWAセントラル・ステーツ地区でデビュー。当初は師匠にあやかりマーティ・オーツ(Marty Oates)をリングネームとしていたが、すぐにマーティ・ジャネッティ(Marty Jannetty)に改名し、トミー・ロジャースとアップタウン・ボーイズ(The Uptown Boys)を結成、ベビーフェイスの新鋭として売り出される。シングルではジプシー・ジョーからセントラル・ステーツTV王座を、ミスター・ポーゴから同ヘビー級王座をそれぞれ奪取。デビュー翌年の1985年8月には早くも全日本プロレスに初来日しているが、キャリア不足を露呈して技に失敗し、後楽園ホールの観客の失笑を買うこともあった。 その後、テキサスのサンアントニオ地区から転戦してきた新人のショーン・マイケルズとミッドナイト・ロッカーズ(The Midnight Rockers)を結成。当時の人気タッグチーム、ロックンロール・エクスプレス(ロバート・ギブソン&リッキー・モートン)の二番煎じと関係者からは揶揄されたが、1986年5月にセントラル・ステーツ・タッグ王座を獲得、同年よりバーン・ガニアのAWAに移籍する。 AWAではバディ・ローズ&ダグ・サマーズ、アレックス・スミルノフ&ポール・デマルコ、バッド・カンパニー(ポール・ダイヤモンド&パット・タナカ)などのチームと抗争、1987年1月27日にはローズ&サマーズからAWA世界タッグ王座を奪取した。同年12月27日にも、ポール・E・デンジャラスリー率いる "オリジナル" ミッドナイト・エクスプレス(デニス・コンドリー&ランディ・ローズ)を下して再び同王座を獲得している。この間、ジェリー・ジャレットとジェリー・ローラーが主宰していたテネシー州メンフィスのCWAにも参戦、AWA南部タッグ王座も2度に渡って獲得した。
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