ミッドナイト・エクスプレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/07 14:12 UTC 版)
ミッドナイト・エクスプレス(Midnight Express)
- ミッドナイト・エクスプレス (映画) - アラン・パーカー監督による1978年の映画。
- ミッドナイト・エクスプレス (プロレス) - 1980年代に活動したプロレスのタッグチーム。
- 東京ミッドナイトエクスプレス京都号 - 関東バス・京阪バスの高速バス路線。
- ミッドナイトEXP高松・ミッドナイトEXP松山 - 四国旅客鉄道の特急列車。いしづち (列車)を参照。
- MIDNIGHT EXPRESS〜天涯へ - 沢木耕太郎がDJを務めるFMラジオ番組。
- ミッドナイト・エクスプレス (フェリー) - 商船三井フェリーの大洗-苫小牧航路の深夜便に、「さんふらわあ しれとこ」「さんふらわあ だいせつ」就航後の2007年4月のダイヤ改正時に名付けられた愛称[1]。現在はウェブサイトでの貨物輸送サービス案内のみで使用[2]。
脚注
関連項目
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ミッドナイト・エクスプレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:12 UTC 版)
「ボビー・イートン」の記事における「ミッドナイト・エクスプレス」の解説
1984年、デニス・コンドリーやマネージャーのジム・コルネットと共に、団体間のトレードによってビル・ワットのMSWAに移籍。コンドリーが1981年にランディ・ローズやノーベル・オースチンと結成していたミッドナイト・エクスプレス(The Midnight Express)を再編し、同じくCWAから移籍してきたリッキー・モートン&ロバート・ギブソンのロックンロール・エクスプレスと抗争を繰り広げた。 その後はテキサス州ダラスのWCCWを経て、1985年よりジム・クロケット・プロモーションズと契約し、ジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区に参戦。ロックンロール・エクスプレスとのドル箱カードを同地区でも再現し、ロード・ウォリアーズとも抗争を開始するなど、1980年代を代表するタッグチームの一員として名を馳せた。 1987年にコンドリーがNWAを離脱するとスタン・レーンを新しいパートナーに起用。1988年9月10日にはレーンとの新コンビでフォー・ホースメンのタリー・ブランチャード&アーン・アンダーソンを破り、ミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を獲得している。一方、コンドリーはAWAにおいてポール・E・デンジャラスリーをマネージャーに、初代メンバーのランディ・ローズとオリジナル版のミッドナイト・エクスプレスを再結成していた。1988年末に彼らがNWAに移籍してくると、イートン&レーンはベビーフェイスのポジションに回り、コンドリー&ローズとの骨肉の争いを展開。この遺恨試合は、コルネットとデンジャラスリーのマネージャー間の抗争にまで発展した。 同時期、テッド・ターナーのクロケット・プロ買収によりNWAは新会社WCWへの移行期にあったが、ジム・ハード副社長との対立でコルネットとレーンは1990年11月にWCWを退団。ミッドナイト・エクスプレスも終焉を迎えることとなった。
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