Marty Jannettyとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Marty Jannettyの意味・解説 

マーティ・ジャネッティ

(Marty Jannetty から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 05:18 UTC 版)

マーティ・ジャネッティ
2004年
プロフィール
リングネーム マーティ・ジャネッティ
"ザ・ロッカー" マーティ・ジャネッティ
マーティ・オーツ
本名 フレデリック・マーティ・ジャネッティ(フレデリック・マーティン・オークス)[† 1]
ニックネーム 弾丸児
身長 180cm[1] - 181cm[2]
体重 100kg[1] - 104kg[2]
誕生日 (1960-02-03) 1960年2月3日(63歳)[1]
出身地 アメリカ合衆国
ジョージア州
マスコギー郡コロンバス[1]
トレーナー ジェリー・オーツ[1][2]
デビュー 1983年[1][2]
テンプレートを表示

マーティ・ジャネッティMarty Jannetty1960年2月3日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラージョージア州コロンバス出身。

ショーン・マイケルズとのタッグチームザ・ロッカーズThe Rockers)での活躍で知られる。

来歴

NWA〜AWA

全日本プロレスの常連中堅外国人だったジェリー・オーツのトレーニングを受け、1983年にデビュー[1][2]。当初は師匠にあやかりマーティ・オーツMarty Oates)をリングネームとしていたが、すぐにマーティ・ジャネッティMarty Jannetty)に改名し、カンザスシティNWAセントラル・ステーツ地区(CSW)においてトミー・ロジャース[† 2]アップタウン・ボーイズThe Uptown Boys)を結成。ベビーフェイスの新鋭として売り出される。シングルでは1984年10月13日、バズ・タイラーを破りNWAセントラル・ステーツTV王座を獲得した[3]

1985年5月、テキサスサンアントニオ地区から転戦してきた新人のショーン・マイケルズと新しくコンビを組むが、短期間でマイケルズはテキサスに戻り[4][5]、ジャネッティはCSWに残留(同月25日にはリック・フレアーNWA世界ヘビー級王座に挑戦している)[6]。同年8月、全日本プロレスに初来日し、2代目タイガーマスクとシングルマッチで対戦した[7]。帰国後の9月22日にはミスター・ポーゴからNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を奪取している[8]

1986年2月、バーン・ガニア主宰のAWAにおいてマイケルズと再合体[9]ロックンロール・エクスプレスロバート・ギブソン&リッキー・モートン)にあやかったアイドル系タッグチーム、ミッドナイト・ロッカーズThe Midnight Rockers)として活動する[10]。並行してCSWにも出場し、同年5月15日にNWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を獲得した[11]

AWAではバディ・ローズ&ダグ・サマーズアレックス・スミルノフ&ポール・デマルコ、バッド・カンパニー(ポール・ダイヤモンド&パット・タナカ)などのチームと抗争、1987年1月27日にはローズ&サマーズからAWA世界タッグ王座を奪取した[12]。同年12月27日にも、ポール・E・デンジャラスリー率いる "オリジナル" ミッドナイト・エクスプレスデニス・コンドリー&ランディ・ローズ)を下して再び同王座を獲得している[12]。この間、ジェリー・ジャレットジェリー・ローラーが主宰していたテネシー州メンフィスCWAにも参戦、AWA南部タッグ王座も2度に渡って獲得した[13]

WWF

ザ・ロッカーズ(左がショーン・マイケルズ、右がマーティ・ジャネッティ)

ジャネッティ&マイケルズとWWFとの最初の契約は1987年6月だったが、不祥事を起こして2週間で解雇[† 3]。その後AWA復帰を経て、1988年に再契約を交わした。チーム名はザ・ロッカーズThe Rockers)と簡略化され、アイドル系の若手タッグチームとして女性や子供の観客からの支持を獲得。ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)、デモリッションアックス&スマッシュ)、ブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)、ツイン・タワーズ(ビッグ・ボスマン&アキーム)、パワー&グローリーハーキュリーズ&ポール・ローマ)、ナスティ・ボーイズブライアン・ノッブス&ジェリー・サッグス)、ビバリー・ブラザーズ(ボウ・ビバリー&ブレイク・ビバリー)など、数々のチームと激闘を繰り広げたが、タッグ王座に就く機会には恵まれなかった。1991年には、当時のWWFの日本での提携先だったSWSにロッカーズとして度々来日している[14]

1991年11月27日、サバイバー・シリーズ'91における同士射ちを発端にマイケルズとの仲間割れアングルが勃発。翌1992年初頭のブルータス・ビーフケーキのインタビュー・コーナー "バーバーショップ" で一旦は和解したかに見えたが、不意をついたマイケルズがスウィート・チン・ミュージックでジャネッティをKO[15]。ロッカーズは解散し、マイケルズはヒールのシングルプレイヤーとして売り出されることになるが、ジャネッティはマイケルズの急襲による負傷というアングルのもと、諸事情のためしばらくWWFを離脱する[16]

カムバック後は、1993年よりマイケルズとの本格的な抗争がスタート。1月24日のロイヤルランブル'93ではマイケルズのインターコンチネンタル王座に挑戦、試合では当時マイケルズとの間に軋轢が生じていたマネージャーセンセーショナル・シェリー[† 4]がジャネッティのセコンドに付いた。その後もIC王座を巡る連戦を行い、5月17日のマンデー・ナイト・ロウにてマイケルズを下してタイトルを獲得するが[17]、6月6日のリターンマッチではディーゼルの介入によりマイケルズに奪還に成功されている[18]

同年下期からは同じくマイケルズやディーゼルと反目していたレイザー・ラモン1-2-3キッドと共闘し、翌1994年1月10日にはキッドとのコンビでザ・ケベッカーズ(ジャック&ピエール)からWWF世界タッグ王座を奪取[19]。翌週のRAWで奪還され、またもや短命王者に終わったものの、ロッカーズ時代には成し得なかった同王座への初戴冠を果たした。しかし、ロッカーズ時代に起こしたリング禍の裁判[† 5]が同年より始まり、再びWWFから姿を消すことになる。

その後、ECWへのスポット参戦(エディ・ゲレロらと対戦)を経て1995年9月よりWWFに復帰したがポジションを見出せず、1996年下期にレスラーとしてのキャリアでは初めてとなるヒールに転向。リーフ・キャシディことアル・スノーとのニュー・ロッカーズThe New Rockers)で活動するもファンの反応は鈍く[16]、同年末をもってWWFを退団した[15]

復帰〜近年

1997年、インディー団体Ultimate Championship Wrestlingにて

1997年は東部のインディー団体を転戦し、1998年よりWCWと契約[20]。従来通りのベビーフェイスとしてスコット・スタイナークリス・ジェリコクリス・ベノワらと対戦するが、ミッドカード専門のジョバーのポジションに甘んじ、同年下期に肩を負傷して解雇された[15]

その後しばらく近況が聞かれなかったが、2003年頃よりインディー団体でカムバックし、2004年7月にはロッカーズ・ギミックの先達であるロックンロール・エクスプレスのギブソンとのロックン・ロッカーズThe Rock 'n' Rockers) としてIWAジャパンに登場、1992年2月のSWS参戦以来となる久々の来日を果たした[21]

そして2005年、3月14日開催のRAWにおいてWWEに電撃復帰。マイケルズとの一夜限りのロッカーズ再結成が実現し、ラ・レジスタンスシルヴァン・グラニエ&ロブ・コンウェイ)に勝利した[16]。3月17日放送のスマックダウンでは、レッスルマニア21に向けて当時マイケルズと抗争中だったカート・アングルとも対戦。ファンの反応も上々でフルタイム契約が結ばれたにもかかわらず、不祥事のため7月に契約は破棄された[15]

2006年2月20日、再びWWE(RAW)に登場。スピリット・スクワッドの5人がかりの攻撃からマイケルズを救出して大喝采を浴びたが、以降も解雇と復帰を繰り返し、WWEにはパートタイム参戦の状態となる。2007年12月10日のRAW15周年大会では、やはりマイケルズと抗争していたミスター・ケネディと対戦した[15]

2009年には、前週に元タッグパートナー同士のUS王者ザ・ミズとIC王者ジョン・モリソンが自分達をロッカーズになぞらえ、互いのどちらかがマイケルズの如く成功し一方はジャネッティのように没落する、と言い争ったのを受け10月19日のRAWに登場。ジャネッティを散々に愚弄したミズと対戦するが、スカル・クラッシング・フィナーレを食らいフォール負けを喫した[15]

その後もセミリタイアの状態ながらインディー団体へのスポット参戦を続け、2011年からはチカラに出場した。

得意技

獲得タイトル

セントラル・ステーツ・レスリング
アメリカン・レスリング・アソシエーション
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • AWA南部タッグ王座:2回(w / ショーン・マイケルズ) [13]
ワールド・レスリング・フェデレーション
インディー団体
  • MTWヘビー級王座:1回
  • MWAヘビー級王座:1回
  • NBPWヘビー級王座:1回
  • WWWAインターコンチネンタル王座:1回
  • SWA TV王座:1回
  • UWCタッグ王座:1回(w / Purple Hooter)

脚注

注釈

  1. ^ もともとの本名はフレデリック・マーティン・オークスFrederick Martin Oakes)だったが、2007年よりフレデリック・マーティ・ジャネッティFrederick Marty Jannetty)を正式に本名としている。
  2. ^ ボビー・フルトンとのザ・ファンタスティックスで活躍したトミー・ロジャース(トーマス・カウチ)とは別人。後にトミー・レーンと改名してマイク・デービスとロックンロールRPMsを結成し、メンフィスのCWAでミッドナイト・ロッカーズとAWA南部タッグ王座を争った(Online World of Wrestling: Tommy Lane)。
  3. ^ 酒に酔ってナイトクラブの器物を損壊させたことが原因だという(『ピュア・ダイナマイト - ダイナマイト・キッド自伝』P197 / 2001年エンターブレイン発行 / ISBN 4-7577-0639-1)。
  4. ^ ジャネッティの急襲を、マイケルズがシェリーを盾にして防いだことによる。ロッカーズとシェリーはAWA時代からの盟友であり、2007年6月に死去したシェリーの葬儀には2人とも参列している。
  5. ^ 1990年12月、ロッカーズとタッグマッチを行ったジョバーのチャールズ・オースチンが、ジャネッティのフィニッシュ技「ロッカー・ドロッパー」を受けて再起不能の重傷を負った。オースチンはWWFを相手に訴訟を起こし勝訴。WWFは2670万ドルの賠償金を支払うことになった。

出典

  1. ^ a b c d e f g Marty Jannetty”. Wrestlingdata.com. 2023年10月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e Marty Jannetty”. Cagematch.net. 2023年10月29日閲覧。
  3. ^ a b NWA Central States Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月6日閲覧。
  4. ^ The CSW matches fought by Shawn Michaels in 1985”. Wrestlingdata.com. 2023年10月29日閲覧。
  5. ^ The USA ASW matches fought by Shawn Michaels in 1985”. Wrestlingdata.com. 2023年10月29日閲覧。
  6. ^ The CSW matches fought by Marty Jannetty in 1985”. Wrestlingdata.com. 2023年10月29日閲覧。
  7. ^ The AJPW matches fought by Marty Jannetty in 1985”. Wrestlingdata.com. 2016年7月3日閲覧。
  8. ^ a b NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月6日閲覧。
  9. ^ The AWA matches fought by Shawn Michaels in 1986”. Wrestlingdata.com. 2023年10月5日閲覧。
  10. ^ Rockers”. Online World of Wrestling. 2023年6月23日閲覧。
  11. ^ a b NWA Central States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月6日閲覧。
  12. ^ a b c AWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月6日閲覧。
  13. ^ a b AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月6日閲覧。
  14. ^ The SWS matches fought by Marty Jannetty in 1991”. Wrestlingdata.com. 2016年7月3日閲覧。
  15. ^ a b c d e f Marty Jannetty”. Online World of Wrestling. 2016年7月3日閲覧。
  16. ^ a b c 10 Things WWE Fans Should Know About The Rockers”. The Sportster (2022年9月30日). 2023年10月8日閲覧。
  17. ^ a b History of the WWE Intercontinental Championship”. WWE.com. 2010年4月6日閲覧。
  18. ^ WWF - 1993 Results”. History of WWE. 2023年10月8日閲覧。
  19. ^ a b History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月6日閲覧。
  20. ^ The WCW matches fought by Marty Jannetty in 1998”. Wrestlingdata.com. 2016年7月3日閲覧。
  21. ^ The IWA Japan matches fought by Marty Jannetty in 2004”. Wrestlingdata.com. 2016年7月3日閲覧。

関連項目

外部リンク


「Marty Jannetty」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Marty Jannetty」の関連用語

Marty Jannettyのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Marty Jannettyのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマーティ・ジャネッティ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS