大木金太郎の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 06:09 UTC 版)
「WWA極東ヘビー級王座」の記事における「大木金太郎の時代」の解説
1963年に力道山が急死した後、大木金太郎が力道山の正当な後継者であることを主張した(大木は韓国出身で力道山とは朝鮮半島出身の先輩後輩の関係になる。ただし、当時力道山が朝鮮半島出身であることは公表されていなかった)。そこでインターナショナル・ヘビー級王座を望んだ大木に対して日本プロレス首脳は、これを拒否。かわりに日本プロレスは、1965年に大木を極東ヘビー級王座に認定することとし、8月11日の韓国・ソウル大会にて王座決定戦を開催し、大木が芳の里を破って初代王者に就いた。 大木は韓国と日本で、カール・カールソン、リッパー・コリンズ、ジョー・スカルパ、キラー・カール・コックス、ターザン・ゾロなどを相手に防衛戦を数度行うが、ジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級選手権に比べて観客動員の低調ぶりと挑戦者の格の低さは明らかであった。極東ヘビー級王座に価値が無いことを察した大木は同王座を見限り、1966年12月に返上、その後も新王者決定戦などは開かれずに事実上封印された。 一方、当時の日本プロレス社長の豊登は、日本プロレス協会の会長だった児玉誉士夫らの圧力もあり、大木がNWA世界ヘビー級王座やそれに準じる王座を獲得した場合、大木に2代目力道山を襲名させることを約束する。大木は1967年4月29日、ソウルにてマーク・ルーインを破り、当時NWA、AWA、WWWFと並んで世界四大タイトルのひとつと言われていたWWA世界ヘビー級王座を獲得する。 しかし、力道山襲名を約束した豊登は当時すでに日本プロレスを退社しており、児玉誉士夫らも警察の暴力団壊滅作戦により日本プロレスから身を引いていた。また、当時の日本プロレスでは馬場と並んでアントニオ猪木もスター選手として台頭していた時期であり、さらに大木は帰国前にWWA世界ヘビー級王座から陥落していたこともあって、馬場や猪木に人気面で劣る大木の力道山襲名は、前社長(豊登)の独断によるものとして反故にされた。しかし、この一件でWWAと大木に接点が生まれた。なお、大木は1960年代から大韓プロレス協会(のちの韓国プロレスリング連盟)を主宰しており、WWA世界王者ルーインの渡韓も大木のブッキングで実現した。
※この「大木金太郎の時代」の解説は、「WWA極東ヘビー級王座」の解説の一部です。
「大木金太郎の時代」を含む「WWA極東ヘビー級王座」の記事については、「WWA極東ヘビー級王座」の概要を参照ください。
大木金太郎の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:47 UTC 版)
「インターナショナル・ヘビー級王座」の記事における「大木金太郎の時代」の解説
馬場の王座返上後の1972年12月、大木金太郎とボボ・ブラジルの間で新王者決定戦が行われ(「頭突き世界一決定戦」とも称された)、ブラジルが初戦に勝ち王座復帰、第2戦で大木が勝って念願のインターナショナル王座のベルトを腰に巻いた。以降、大木はビリー・レッド・ライオンとフリッツ・フォン・エリックを相手に防衛戦を行ったが、アントニオ猪木とジャイアント馬場が抜けた後の日本プロレスは観客動員が格段に落ち、程なくして経営不振になり自前の興行を行えなくなった後、団体としての活動を停止した。それに伴い、インターナショナル・ヘビー級王座は認定コミッション消滅により宙に浮いた状態となったが、チャンピオンベルトそのものは大木が所持し、地元韓国にてスーパー・デストロイヤー、マリオ・ミラノ、ザ・デストロイヤー、サムソン・クツワダ、サンダー杉山、アブドーラ・ザ・ブッチャー、高千穂明久、ドン・レオ・ジョナサン、稲妻二郎、キラー・トーア・カマタ、キング・イヤウケア、ブル・ラモス、フレッド・ブラッシー、ジョニー・ロンドス、チーフ・フランク・ヒルなどと防衛戦を行った。大木が新日本プロレスに参戦していた当時の1975年3月27日には、ソウルでアントニオ猪木の挑戦も一度受けている。これは猪木唯一のインター戦となった。1980年に大木が国際プロレスに入団してからは、ジョー・ルダック、ジプシー・ジョー、ビル・ドロモ、上田馬之助を相手に日本でも防衛戦が行われた。 全日本プロレスは1981年4月13日、NWA本部からの勧告という形で大木に王座を返上させ復活トーナメント(直前に行われたチャンピオン・カーニバルの成績優秀者9人が参加)を開催し、以降は全日本プロレスのタイトルとして定着する(大木は馬場の推薦で韓国のプロモーターとしてNWAに加盟しており、「NWA非加盟の国際プロレスでインター戦を行ったのはNWA会員として問題」という趣旨の勧告であった。なお、全日本プロレスは交換条件として馬場が大木から奪取して封印していたアジアヘビー級王座を大木に渡している)。
※この「大木金太郎の時代」の解説は、「インターナショナル・ヘビー級王座」の解説の一部です。
「大木金太郎の時代」を含む「インターナショナル・ヘビー級王座」の記事については、「インターナショナル・ヘビー級王座」の概要を参照ください。
- 大木金太郎の時代のページへのリンク