NWF設立
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1960年代末にはオハイオ州クリーブランドを主戦場とするようになり、五大湖地区以外への遠征は少なくなる。北東部の大物プロモーターであったペドロ・マルティネスからの譲渡によりクリーブランドの興行権を取得し、プロモーター業の比重を高めていくと共に、映像制作・販売等の事業も手掛けるようになる。この時期には日本プロレスから遠征してきていた坂口征二とも対戦している。1970年、マルティネスとパワーズはNWAを離脱してNWF(ナショナル・レスリング・フェデレーション)を設立。自らは初代NWF認定世界ヘビー級王者となった(ロサンゼルスにてフレッド・ブラッシーを破り、戴冠したとされる)。同年8月29日にはアクロンにてチーフ・ホワイト・オウルをパートナーに、ダスティ・ローデス&ディック・マードックのテキサス・アウトローズを破りNWF世界タッグ王座も獲得している。パワーズはNWF設立の動機を「オーナー・レスラーになりたかった」「他人に使われるのが嫌いな性分だった」などと語っている。しかし、NWFはNWA傘下のプロモーションだったデトロイトやトロント地区とも提携しており、完全な反NWAの独立インディー団体ではない。 世界王座はまもなくパワーズの手を離れたが、NWFはマルティネスの本拠地であるニューヨーク州バッファローとクリーブランドを中心にアメリカ北東部・カナダとテリトリーを拡大していった。選手は前述のジョニー・バレンタインの他、ワルドー・フォン・エリック、アーニー・ラッド、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ブルドッグ・ブラワー、ドミニク・デヌーチ、カール・フォン・クラップ、スタン・スタージャックなどが集結、更にデトロイトとの提携でザ・シークやボボ・ブラジルら超大物も招聘して繁栄マーケットとした。レスラーとしては主にベビーフェイスのエースとして、バレンタイン、ブッチャー、ブラワー、シークらと抗争を繰り広げた。しかし、NWFは1973年に入る頃から徐々に衰退・縮小していった。 1973年8月24日、パット・パターソンと組み、NWA認定北米タッグ王座の王者チームとしてロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムに登場、新日本プロレスのアントニオ猪木&坂口征二の挑戦を受ける。1-2で敗れるが、3本目が反則負けであったため、ルールにより防衛に成功した。しかし、これ以前にパワーズとパターソンがアメリカで同王座を獲得・防衛した記録は見当たらないため、この王座はこの試合のため、新日本プロレスの要請で急造されたものといわれている。これと前後して、ブッカーとしてNWF周辺のレスラーを新日本に斡旋するようになった。 LAでの北米タッグ戦直後の1973年9月、新日本プロレスに初参戦した。この時はタイトル戦は行わなかったが、同年12月にはパターソンとともに、二度目の戴冠を果たしたNWF世界ヘビー級および北米タッグの二冠王として再来日した。北米タッグ王座は12月7日、大阪府立体育館で猪木&坂口組の挑戦を受け、LAと同様の3本目反則負けの結果で再び防衛した。しかしNWF世界王座は、12月10日の東京都体育館大会にて猪木に2-1で破れ、タイトルを明け渡した。以後、この王座は7年半に渡り、新日本の看板タイトルとなる。この敗戦については、王者としてもプロモーターとしても得意の絶頂にあったパワーズが、慢心のために王座を失ったと語られてきた。しかし実際には、当時のパワーズはNWFの衰退およびサイドビジネスである不動産業の不振によって経済的に行き詰っており、タイトルを1万ドルで売却したとされている。 翌1974年1月31日、自身がプロモートするクリーブランドでの対アーニー・ラッド戦にオックス・ベーカーが乱入、当時ベビーフェイスのポジションにいたラッドを滅多打ちにしたことに対し多くの観客が激高し、The Cleveland Riot(クリーブランドの暴動)と呼ばれる騒ぎを引き起こした。それからまもない同年3月には猪木をクリーブランドに招聘してラッドとのNWF戦をプロモートするなどしていたが、1975年初頭を最後に興行団体としてのNWFは事実上消滅する。その後パワーズは、ペドロ・マルティネスが設立に参画し、ミル・マスカラスやルー・テーズらが参加してWWWFと興行戦争を繰り広げていたIWA(インターナショナル・レスリング・アソシエーション)に合流。やがて勢力が衰え主力選手が離脱した同団体を引き継ぎ、ノースカロライナを中心にインディー団体として興行を行っていた。しかし1977年夏頃を最後に、それも休止状態となった。その後はNWFやIWAの運営の経緯から北米のプロモーターに疎んじられていた面もあり、アメリカやカナダでの試合はほとんど行わず、プロレスビジネスとは疎遠となっていった。
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