新日本プロレスとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 09:14 UTC 版)
一般にNWFと新日本プロレスとの結びつきは、1966年に東京プロレスに初来日して以来の、ジョニー・パワーズとアントニオ猪木の関係によるものとされている。しかし実際には、NWF設立以前の1969年に当地をサーキットし、パワーズとも旧知の坂口征二によるブッキングと考えるのが妥当である。 日本では「パワーズが図らずも猪木に王座を奪われたため、隆盛を誇っていたNWFが一転凋落に向かった」という伝説が、長年史実として語られてきた。現在はパワーズが新日本プロレスに王座を、興行権として売却したとの見方が通説になっている。この王座売却の時点で既にパワーズは団体自体を店じまいするつもりだったとの極端な見方もされるが、その後も1975年の初頭まではクリーブランドなどで「パワーズの保持するNWF北米ヘビー級ベルト」を看板に興行を行っており、これも断じ難い。 1975年に事実上NWFが消滅した後も、新日本プロレスは1977年前半頃まではNWFが存続しているようなアングルを組んでおり、パワーズによるクーデターが伝えられたこともあった。上述のように、パワーズはIWAの名で1977年半ば頃まではノースカロライナ州で興行をしており、パワーズ一派という意味ではNWFの存続もまったくの絵空事ではなかった。しかし、それ以降はNWFの消滅は日本でも周知の事実となり、同王座は事実上、新日本プロレスが管理・運営する王座となった。 1975年2月12日、NWFはNWAと業務提携を結んだ。1976年8月7日のNWA年次総会で新日本プロレス(名義人は坂口と新間寿)のNWA加盟が認められると、タイトル名から「世界」が外され、NWF世界ヘビー級王座から NWFヘビー級王座 と改称された。 1981年4月、IWGP構想に伴い、スタン・ハンセンとの王座決定戦で勝利を収めた猪木により、同王座は封印された。猪木の王者時代は新日本プロレスのフラッグシップ・タイトルとして、前王者のパワーズや元王者のアーニー・ラッド、後に戴冠するタイガー・ジェット・シンやハンセンをはじめ、ストロング小林、大木金太郎、アンドレ・ザ・ジャイアント、ルー・テーズ、ビル・ロビンソン、パク・ソンナン、イワン・コロフ、パット・パターソン、マスクド・スーパースター、ボブ・バックランド(WWFヘビー級王座とのダブルタイトル戦)、ペドロ・モラレス、クリス・マルコフ、ボブ・ループ、ニコリ・ボルコフ、カネック、ジャック・ブリスコ、ダスティ・ローデス、アイアン・シーク、ケン・パテラ、ハルク・ホーガン、ボビー・ダンカンらとの防衛戦が行われた。
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