新日本プロレスの異種格闘技戦
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「異種格闘技戦」の記事における「新日本プロレスの異種格闘技戦」の解説
猪木が設立した新日本プロレス(以下、新日)では、「純プロレス路線」と「異種格闘、総合格闘路線」との2つの方向性の微妙なバランスの上で成り立っているといえる。以降、大きな大会では純プロレス系の組み合わせと、総合格闘系、異種格闘系の対戦とが混在している。ノンフィクション作家の柳澤健は1976年は後述の猪木の3試合のほか、新日本プロレスリオデジャネイロ遠征でウィレム・ルスカ対イワン・ゴメスの対決がプロレスからバーリトゥードと化して行われており、新日本プロレスにリアルファイト(真剣勝負)が入り込んだ異常な年だった、としている。 また、それが新日の純プロレスの技や駆け引きにも1種のフィードバック現象を起こしている。よって、現役時代の猪木本人のみならず所属レスラーの多くが、純プロレスの試合であってもピンフォール(3カウント)勝ちばかりではなく打撃技でのKO(ノックアウト)勝ち、関節技や絞め技などを使ってのギブアップ勝ちを取るなど、双方の闘い方を行う傾向にある。これらは、多くのプロレス団体の闘い方にも影響を与えている結果となっている。 猪木は引退後にこの分野の先駆者イメージを生かし、PRIDEのプロデューサーとなり、定期的にこの大会を行い、対プロレス以外にも様々な異種格闘技戦を企画、展開することとなる。その代表的なものが、PRIDE対K-1等の各所属格闘家の試合などである。また、PRIDE同様にK-1も異種格闘技戦の性格を持つ。 総合格闘技で成功したプロレスラーも決して少なくはない。新日に限らず、プロレスラーとして総合格闘技に参戦する者や、その逆も出てきている。 2007年に猪木が旗揚げしたIGFでもK-1のトップファイターとプロレスラーの異種格闘技戦が行われている。
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