新日本プロレス主戦時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:06 UTC 版)
「スティーブ・ウィリアムス」の記事における「新日本プロレス主戦時代」の解説
1986年7月の新日本プロレスの興行「バーニング・スピリット・イン・サマー」にて初めて日本のリングに立った。パワフルかつスピーディーなファイトで脚光を浴び、8月5日には猪木とのシングル対決を組まれるなど売り出されたが、同年10月二度目の来日で対戦した猪木が受け身に失敗して失神した際にフォールを取りに行くというまずい対応をし、アドリブ力のなさを露呈してしまう。個別シリーズでは外国人エース扱いを受けるものの、後に参戦してきたクラッシャー・バンバン・ビガロやビッグバン・ベイダーに次ぐ3番手への降格を余儀なくされた。 1987年、ジム・クロケット・ジュニアのミッドサウス版UWF買収に伴い、NWAのジム・クロケット・プロモーションズ(後のWCW)に移籍。1988年9月からはマイク・ロトンドのパートナーとしてバーシティ・クラブに加入し、翌1989年4月2日にロード・ウォリアーズからNWA世界タッグ王座を奪取した。
※この「新日本プロレス主戦時代」の解説は、「スティーブ・ウィリアムス」の解説の一部です。
「新日本プロレス主戦時代」を含む「スティーブ・ウィリアムス」の記事については、「スティーブ・ウィリアムス」の概要を参照ください。
- 新日本プロレス主戦時代のページへのリンク