新日本プロレスの業績悪化およびファン離れ
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「流血の魔術 最強の演技」の記事における「新日本プロレスの業績悪化およびファン離れ」の解説
本書はプロレスファンの間で賛否両論の評価をされつつ、およそ20万部といわれる売上を記録した。井上譲二は、本書によって「それまでグレーゾーンにとどまっていた『プロレス八百長説』に関する議論は、完全に決着してしまったといっていい」と述べている。井上は「この暴露本によってプロレス界が受けたダメージは小さいはずがない」とも述べており、その理由として著者が「当事者」である元レフェリーで、しかもプロレスの内幕が詳細に描写されていることを挙げている。 井上譲二は新日本プロレスの業績が2002年ころから急激に悪化した事実を指摘し、その原因の一つは本書の出版(2001年12月)であるとしている。井上によると、プロレスファンには「プロレスというジャンルに対する信者」と呼ぶべき純粋な人間が多く、そうした人間が「騙された」というショックから試合を観に行かない、専門誌を買わないという状況が生まれたのだという。井上は本書出版後、プロレスファンから『週刊ファイト』編集部に「何十年も猪木にだまされてきた。もうプロレスファンをやめる」、「『ファイト』もグルだったんだな」といった内容の抗議が寄せられたことを明かしている。ただし井上は本書がプロレス業界やファンに与えた影響について、「極めて重く見る人もいれば、軽視する人もいて、そのギャップはかなり大きい」とも指摘し、「このことは、あの本が出版された当時、すでに『プロレスの勝敗は100%はじめから決められている』とはっきり認識していた人と、そうでない人、あるいはどっちつかずの人、深く考えていなかった人など、さまざまな立場のファンがそれぞれ拮抗する形で混在していた状態であったことを示しているように思われる。」と述べている。著名人の中では大槻ケンヂが本書を読んだ後「もしかすると、プロレスというのは一生ものではないんじゃないか?」と感じるようになり、「プロレスからの卒業」を考えるようになったと述べている。高橋によると、大槻は雑誌の企画で高橋と対談した際にも「あの本を読んで、プロレスに台本があるのを知ってがっかりしました。もうプロレスは観ません」と語ったという。高橋は大槻について、「ミュージシャンとしてエンターテインメントの世界に生きる人に、そんな頑なさを見せられたことはひどく残念だった」と述べている。 高橋は井上譲二が指摘するような、新日本プロレスに与えた影響について、本書出版の数年前から「新日本プロレスそのものが、迷走の色を濃くしていったのは否定できない」と述べ、2002年に体力的に劣る(高橋によると、女性アスリートの体力および筋力は男性アスリートの70%ほどだということが運動生理学上立証されているという)はずの女子プロレスラージョーニー・ローラーが同団体所属の男子プロレスラーを次々と倒したアングルは、かつての新日本プロレスでは考えられないことであり、「プロレスには台本があることを、身をもって示している行為」であると指摘する。さらにその後「新日本プロレスの現役選手が、『ショー』であることを公言する『ハッスル』や『西口プロレス』、『マッスル』などのリングに上がり、互角の戦いを繰り広げたりもしている」と指摘、「プロレスがショーだとカミングアウトするよりもひどい形で、自らプロレスを貶めていることになる」と新日本プロレスを批判した。高橋はこれらの「すべてを咎めようとしているわけではない」としつつ、「プロレスがショーだということをどこまでも認めず、私の存在を抹殺したがっている一方で、そんなことばかりをやっている現実に、大きな矛盾を感じざるを得ない」と述べている。高橋は「選手がどこかの団体のリングに上がるというのは、その団体のスタイルを認め、マッチメイクに従う、と承諾したのと同じこと」と主張する。 なお、上記団体のうちハッスルについて、井上譲二は「エンタメ路線を強く打ち出し、事実上カミングアウトしている」、かつて新日本プロレスの取締役を務めていた永島勝司は「高橋の主張するようなことを地でいっている…ということになるのだろうか」と評している。これに対し高橋は、自身が提唱するエンターテインメントとハッスルのエンターテインメントとでは「方向性が全く違った」と主張し、ハッスルが事実上解散したことにより「ミスター高橋が提唱するプロレスも末路を迎えた」という見方があることに反発している。高橋はハッスルが失敗した原因について、「本来のプロレスのイメージから逸脱しすぎた奇抜なストーリーに『闘い』が感じられなかったのが大きいのではないか」と分析している。高橋は、ショーとはいえ小川直也が女性タレントにフォール負けを喫したことや曙太郎扮する「ボノちゃん」に対し、拒絶反応を示している。高橋は、「WWEがお手本になる」と主張する一方、「日本人の好むプロレスと、アメリカ人の好むプロレスはやはり違う」、日本のプロレスファンが求めているのは「『闘い』をテーマとした、アントニオ猪木のスタイル」であって、「ショーとしてエンターテインメント路線を歩めば、どんな色づけをしてもいいわけではない」とも主張、本書の読者がその点を誤解したとすれば残念だと述べている。 プロレスファンに与えた影響について井上譲二は、「おそらく、あの本を読むまでプロレスは真剣勝負であると思っていたファンは想像以上に多かったと思う。読まずとも知っていたという内容なら、あんなに反響があるはずがない」と述べている。一方、高橋は2010年発行の『流血の魔術 第2幕』の中で、本書出版後、プロレスファンから「プロレスのいい加減さが好きだったのに」と本書を「悪魔の書」呼ばわりされたことがあったと明かした上で、「プロレスのいい加減さが好きといったマニアックなファン」について、「プロレスを馬鹿にしているように思えてならない」、「そうした人たちは極めて少数なコアな層に過ぎないので、そこだけを気にしていれば、方向性を見失ってしまうのだ。プロレス団体やマスコミが、コアな層にばかり目を向けがちになっているのは以前からのことだが、その部分を見直さなければプロレスに未来はない」と批判している。さらに高橋は、『プロレス「悪夢の10年」を問う』(宝島社、2008年)がファン歴10年以上の男性ファンに行ったアンケートで本書に対する感想を求めたところ、72%が「内容を知らないので特に感想はない」と回答した事実を挙げ、「プロレスファンが意外なほど読んでいないことに、かなり驚いた」と述べ、この結果から本書がプロレス衰退の後押しをしていたという懸念が払拭され安堵したと述べるとともに、本書が「もっと大きな影響力を持っていれば、私が望んでいたように、プロレスの新たな可能性を切り開いていく一助になったのではないかと、残念にも思われた」と述べている高橋は前述『プロレス「悪夢の10年」を問う』におけるアンケートの結果から、プロレスの人気が低迷した原因について「総合格闘技のリングでプロレスラーが負け続け幻滅した」とする意見(10.4%)が本書をはじめとする高橋の著書が原因とする意見(1.1%)よりもはるかに多いことを指摘し、K-1やPRIDEで「格闘家にあっさりと負けてしまったプロレスラーも責任は重い」、ルールがプロレスとは異なる大会に「出ていくべきではなかった」と述べている高橋は具体的に、ヒクソン・グレイシーに連敗した高田延彦、エメリヤーエンコ・ヒョードルやミルコ・クロコップに1分ほどで敗れた永田裕志の名を挙げており、とくにIWGPの連続防衛記録を作り、「新日本プロレスの顔的存在」となっていた永田が「無残な姿をさらした」事実は、プロレスにとって大きな痛手になったと分析している。
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