新日本プロレス入門 - 若手時代とは? わかりやすく解説

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新日本プロレス入門 - 若手時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:50 UTC 版)

武藤敬司」の記事における「新日本プロレス入門 - 若手時代」の解説

1984年新日本プロレス選手利用していた接骨院勤務していた東北柔道専門学校先輩から新日本プロレス紹介され21歳入門。後に闘魂三銃士となる蝶野正洋橋本真也同日入門であり、船木誠勝野上彰同期生入門三日ほどであまりの練習厳しさ当時コーチであった山本小鉄辞めたいと言ったことがあるが、他の練習生であれば引き留めるはずもないところ小鉄は「あと1週間だけ辛抱してみろ、それでも嫌なら辞めて構わない」と励まし武藤自分への期待自信をつけ、残る決意固めた。共に練習していた蝶野は、「武藤が『あの逸材だから』相手がどう反応する判っていて駆け引きをしていたようだ」と語っている。その厳しトレーニングも、前田日明藤原喜明高田延彦らが第一次UWF移籍し半年後には長州13人が全日本プロレス移籍してしまったため、怖い先輩がいなくなったことで随分楽になったという。同年10月4日デビュー相手同じくデビュー戦蝶野であった木村健悟付き人務めたため、プロレス師匠木村健悟である。 新弟子時代、週に1回ちゃんこ番の際はそれまで料理などしたことが無かったため、武藤場合ポン酢作って材料を鍋に放り込むだけでできる簡便な「豚ちり」を作るのが定番であったが、これがレスラーから不評であった武藤新弟子時代新日本羽振り良くちゃんこ番朝晩食費である3万円1日使い切ることが使命であったが、当時上質な肉や米であろう残った食糧全部その日の内に捨てるほどの飽食ぶりであった。そんな武藤とは対照的に橋本料理が上手かったと2018年インタビュー振り返っている。 柔道猛者であったため入門当初からアントニオ猪木坂口征二藤原喜明らと互角にスパーリングをする実力天性運動神経ルックスから、早くから将来エース候補目されヤングライオン杯優勝を経ることなく1985年11月に初の海外遠征(米フロリダ地区)に出発。ホワイト・ニンジャというリングネーム活動し当初ベビーフェイスだったが、タッグマッチパートナーワフー・マクダニエル裏切りヒール転向したNWAフロリダ地区では、1986年5月21日ケンドール・ウインダムからフロリダ・ヘビー級王座奪取タイトル戴冠果たした。しかし、6月ビデオ反則していたことが判明し王座返還させられるその後アラバマのコンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリングで活動し同年9月1日NWA USジュニアヘビー級王座獲得したタンパ在住中、当時ホテル住まいであった武藤キッチンも無い中100%外食食事を済ます必要があったが、幼少期あれだけジャンクフード憧れていた(エピソード節を参照武藤と言えどハンバーガーピザなどが中心食生活には「胃もたれがする」と嫌気差し程無くして中華料理で腹を満たすことにした。当時タンパには日本食レストランも2軒しかなく、インチキ日本食もあったため、止む無く中華料理食していた。ただ、フロリダにはスペインアメリカ人が多い影響からターメリックライスが食文化として定着しており、チキン一緒にターメリックライスを食べたのが食事に関するアメリカ遠征時代思い出であった帰国後、「スペース・ローンウルフ」なるギミック売り出される当時リング登場時のコスチューム宇宙飛行士ヘルメット(そのスタイル初期のみ着用、というより頭に被らずに手に携えてリングインするという感じであった)をかぶり、ブルゾンタイプのガウン胸元に“610”(「ムトウ」の意)と書かれたものを着用していた。本人曰くヘルメットかぶったのは猪木より「ヘルメットスポンサーが付くかもしれないからかぶれ」と言われとのことだがヘルメットスポンサーは付かなかったという。所々ラメ入った青いロングタイツに白いリングシューズ真っ直ぐのふさふさした頭髪は『ジャニーズレスラー』であると、プロレス雑誌書かれた。ちなみにテーマ音楽は「ファイナル・カウントダウン」で、リング入場する際はロープ間を跨ぐようなことはせず、鉄棒前転をするような形でトップロープ上を宙返りしリングインする派手なパフォーマンスをしていた。ところが、当時新日本UWF抗争真っ最中であり、おおらかなアメリカンプロレス身に付け武藤ファン支持得られ失敗とはいえ早い時期から藤波辰巳とのシングルマッチ実現するなど特別な扱い受けていた。またナウリーダーとニューリーダーとの世代闘争にも参加しており何故かナウリーダー側として5対5のイリミネーション・マッチ等に参戦していた。

※この「新日本プロレス入門 - 若手時代」の解説は、「武藤敬司」の解説の一部です。
「新日本プロレス入門 - 若手時代」を含む「武藤敬司」の記事については、「武藤敬司」の概要を参照ください。

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