2001年:戦争終結
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「マンデー・ナイト・ウォーズ」の記事における「2001年:戦争終結」の解説
2001年1月、エリック・ビショフが率いるフシエント・メディア・ベンチャーズ社は、月曜日のナイトロと水曜日の『サンダー』の放映存続を条件に、WCWを買収することを発表した。しかしターナー・ブロードキャスティングCEOのジェミー・ケルナーは、すべてのWCWの番組を打ち切ることにした。全国放送の番組がないことでフシエント社は買収をあきらめ、代わりにテレビ時間枠を必要としないWWFが名乗り出た。2001年3月23日、ビンス・マクマホンは正式にWCWの買収を発表した。 WWFが買収したものには、WCWが持つ全てのパテント、WCWが持つNWA時代からの映像ソースと、25名のレスラーの契約が含まれていた。しかし大物選手は親会社のAOLタイム・ワーナーと契約しており、すぐにはWWFのリングに上がれなかった。 ナイトロの最終回は、3月26日、フロリダ州パナマシティ・ビーチから放送された。クリーブランドでのロウの放送との同時中継のコーナーが盛り込まれた。第一試合はWCW世界タイトル戦で、US王者のブッカーTがスコット・スタイナーを倒し、2本のベルトを手に入れた。 メインイベントはスティングがリック・フレアーをスコーピオン・デスロックで倒した。奇しくもナイトロ第一回放送でも組まれたカードであった。二人は試合後、互いの健闘を讃え抱き合った。 ロウとナイトロの同時中継の最後には、シェイン・マクマホンが現れ、(筋書き上)ビンスが交渉している間にシェインがWCWを買収したと発表された。その月の初めには、ECWオーナーのポール・ヘイマンもWWFと契約しECWの団体運営をやめることを宣言していた。こうして、WWFはアメリカ唯一の全国的なプロレス団体となった。
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