2010年の噴火
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「エイヤフィヤトラヨークトル」の記事における「2010年の噴火」の解説
詳細は「2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火」および「2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火による交通麻痺」を参照 2009年12月ごろ、火山地域で地震活動が検出されたが、それは火山の地下7 - 10キロメートル(4.3 - 6.2マイル)の深さで起こっている何千回もの小さな地震(地震計によれば大部分はマグニチュード1か2、数回はマグニチュード3より大きいもの)であった。2010年2月26日に、アイスランドの気象研究所によって、地殻の急激な膨張に加えて異常な地震活動が記録された。地球物理学者はこのことを、エイヤフィヤトラヨークトルの火山のマグマだまりにマグマが地殻の下部から流れ込んでいた証拠だと考えた。そして作用によって生じる圧力は、ソルヴァルスエイリ農場 (Þorvaldseyri) で大規模な地殻の移動を引き起こした。地震活動は増加し続け、そして、3月3日から5日にかけて、約3,000回の地震が火山の中心で測定された。 噴火は、2010年3月20日にフィムヴェルズハゥルスと呼ばれるハイキングで人気がある地域に所在する火山の頂上の噴火口のおよそ8キロメートル(5.0マイル)東において始まったと考えられている。この最初の噴火は氷河の中で起こったものではなく亀裂の中で起こり、一部の地質学者が考えていたより規模も小さかった。 2010年4月14日、エイヤフィヤトラヨークトルは短期間休止した後にふたたび噴火した。今度は氷河の中央の頂上部の噴火口から氷河湖決壊洪水(別名ヨークルフロイプ(en))を引き起こし、大量の水が近くの川に流入したため800人の住民が避難を強いられた。噴火は自然の爆弾となり、フィムヴェルズハゥルスでの以前の噴火より10 - 20倍はより大きい規模と推定される。この2度目の噴火は、数キロメートル上空の大気に火山灰を噴き上げて拡散した。そしてそれは、2010年4月15日より始まったヨーロッパ上空の大部分の空域の閉鎖の原因となり、北西ヨーロッパに航空混乱をもたらした。噴火はまた、まれに見る激しい雷雨(en)を生じさせた。
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2010年の噴火
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10月25日、インドネシア政府は23-24日に起こった500回以上の火山性地震を踏まえ、ムラピ山に4段階のうち警戒レベルを最高度に引き上げ、山頂から10km以内の避難勧告を出した。 10月26日、ムラピ山が噴火を起こして火砕流が村を直撃し、29人が死亡した。大きなものは14時4分、14時24分、15時15分の3回。 11月4日、5時55分からの33分間の爆発は1872年以来最大で、噴煙が上空10kmまで上がった。 11月4日深夜 - 11月5日、爆発が起こり、火砕流が13km以上下り、噴火音は20km先まで聞こえた。18km離れた村などで子供を中心に64人が死亡、今回の一連の爆発の死者は合計122人、避難者は約15万人となった。ジョグジャカルタ国際空港は5日午前閉鎖された。約25km西にある世界遺産のボロブドゥール遺跡にも降灰があった。これまでの総噴出量は5,000万立方mに及んだ。 11月6日、ジャカルタ郊外にも降灰が及んだ。シンガポール航空、マレーシア航空など16社はジャカルタへの定期便48便を休止した。日本航空725便(B777-300、乗員乗客86人、1日1便)は正午頃成田空港を出たが、22時に引き返した。日本航空によれば上空16kmまで噴煙があるという。雨期に入り大雨が降りラハールが発生している。 11月7日、爆発は続き、死者は156人、避難者は20万人になった。シンガポール航空など数社は午後便から運航再開。日本航空は230人搭乗予定の便を欠航。 11月8日、日本航空などは運航再開、避難者は29万人に。 11月9日、オーストラリア気象庁は二酸化硫黄(亜硫酸ガス)が上空12,000 - 15,000mにまで達したと発表した。 11月10日、再噴火した。噴煙の高さは1,500mだが、全方面に灰をまき散らし、場所によっては山頂から50kmまで届いた。死亡者累計191人、重症598人になった。避難者総数は中部ジャワ州23万人、ジョクジャカルタ市11万人の合計約35万人だが、避難勧告地域が半径20kmまで拡大されたため、避難対象人口110万人の3分の1にとどまっている。キャセイ航空とカンタス航空の一部のジャカルタ便が休止し、休止はバリ島のデンパサール空港に及んだ(全面休止は、現在の所ジョクジャカルタ空港のみである)。アメリカのバラク・オバマ大統領のインドネシア訪問日程が短縮された。 11月11日災害対策庁(National Disaster Management Agency(BNPB))はラハール対策として、川の両岸から最低500m離れるように呼びかけた。ジェットスター航空のバリ便が再開した。 古代遺跡保護局はボロブドール遺跡に害がある火山灰が3cm降ったため、重要部分をビニールシートで覆うことにした。 11月12日、死者累計206人。避難者総数38万人、噴出物総量1.4億立方m(1872年は1億)。 11月14日死者累計242人以上。日本は国際緊急援助隊専門家チーム(野上健治東工大火山流体研究センター教授他)が現地入り。小規模ながら噴火と火砕流は続き、20kmの避難圏は続いている。 NASAのオゾン観測装置による二酸化硫黄(亜硫酸ガス)分布地図が発表された。メラピから西にインド洋上3000kmに達し、気流に乗りオーストラリアのポートヘッドランド付近まで回流している。 11月15日、死者は259人以上。ボランティアが1人死亡。噴火が落ち着いたため、帰宅を始める人も出てきている。火山灰により腐食のおそれがあるため、ボロブドール遺跡を掃除。 11月19日、危険な南側の避難地域を15kmに縮小。警戒警報は続行。 11月20日、死者292人、避難者27万人。ジョクジャカルタ空港再開。 11月21日、死者304人、避難者20万人。 11月23日、死者322人、避難者13万人。 メルバブ山(英語版)から望むとムラピ山 ムラピ山(左)とメルバブ山(英語版)(右) 山頂の溶岩ドーム、2007年
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2010年の噴火
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「フィムヴォルズハウルス」の記事における「2010年の噴火」の解説
詳細は「2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火」を参照 2010年3月20日、エイヤフィヤトラ氷河火山の噴火がフィムヴォルズハウルスで発生した。何ヶ月にもおよぶ、エイヤフィヤトラ氷河の下の小さな地震の後のことだった。噴火は午後11時前後に始まり、峠道の北部に長さ 0.5 km の亀裂が発生した。 ちょうど一週間ほどのち、フィムヴォルズハウルスの噴火は長さ 300 m の亀裂を生み出し、新たな噴火口がソウルスモルクへと北進する道 で噴火するのが見られた。ソウルスモルクは人気の観光客向け自然保護区であり、このことが、火山学者たちがさらに状況を評価する間の、観光の一時的な中止を促した。 4月に入り、引き続いてエイヤフィヤトラ氷河本体でより大きな噴火が起こった。さらには、これが引き金となって、近くにあるカトラ火山でより大きな噴火が起きるのではないかと懸念されている。
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