2000年 - 2011年
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「ボン・ジョヴィ」の記事における「2000年 - 2011年」の解説
2000年5月、およそ5年ぶりとなる7thアルバム『Crush』を発表。アルバムのプロデューサーにルーク・エヴィンを迎えた。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得。リード・トラックのシングル「It's My Life」はボン・ジョヴィの新たなアンセムとしてヒットした。7月から開催されたワールド・ツアーは日本からスタートし、4大ドームツアーを行った。8月にはウェンブリー・スタジアムで、解体前最後のコンサートを開催した。 5月には初のライブ・アルバム『One Wild Night Live 1985-2001』を発表。7月には地元ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムでツアー最終公演を行った。9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こると、各チャリティー活動に参加した。 2002年2月、ソルトレイクシティオリンピック閉会式でパフォーマンス。9月にはニューヨークのタイムズスクエアで開催されたイベント『NFL Kickoff Live From Times Square』にヘッドライナーとして出演。 その後、8thアルバム『Bounce』を発売。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を受けたアルバムとなった。 アルバム「バウンス」発表当日の2002年9月11日ZEPP東京で行われた招待客のみのスペシャル・ライヴを行う。これは日本のファンに小さな箱で必ずライヴをする、と約束していたからで、敢えてアメリカ同時多発テロから1年のこの日に行われた。このライヴはアルバム「バウンス」を予約すると応募券が付いており、その応募で当選した人のみのスペシャルライヴだった。他に札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡にて衛星生中継された。因みにこの衛星生中継は、アルバムBOUNCE予約者の中から抽選で各地300名が招待された。 2003年、『第37回スーパーボウル』にてパフォーマンス。6月にはアイルランド共和国ダブリンで開催された『第11回スペシャルオリンピックス夏季大会』開会式に出席してパフォーマンス。ロンドンではハイド・パーク公演を開催した。ワールド・ツアーは、8月のジャイアンツ・スタジアム公演で終了した。10月には、これまでの曲をアレンジしたアルバム『This Left Feels Right』を発表。1月に行った横浜公演のライヴ音源をボーナス・トラックに収録している。 2004年、デビュー20周年とトータルセールス1億枚突破を記念して、デモ音源や未発表音源を多数収録した4枚組ボックス・セット『100,000,000 Bon Jovi Fans Cant Be Wrong』を発表。リッチーやデヴィッド、ティコがメインボーカルとなっている曲も収録されている。 2005年7月、世界同時に行われたチャリティー・コンサート『LIVE 8』にフィラデルフィアから出演。9月には、プロデューサーにジョン・シャンクスを迎えて制作した9thアルバム『Have A Nice Day』を発表。。アメリカではジェニファー・ネトルズとデュエットしてカントリー・ミュージック調にアレンジした「Who Says You Can't Go Home」がロック・アーティストとしては初めてビルボードのHot Country Songsチャートで1位を獲得した。 2007年、第49回グラミー賞において「Who Says You Can't Go Home」(Bon Jovi & Jennifer Nettles)が「最優秀カントリー・コラボレーション賞」を受賞した。6月には10thアルバム『Lost Highway』を発表し、ロンドンではO2アリーナのこけら落し公演を行った。その後日本にて神戸・東京でのスペシャル・ライヴに参加した。、Billboard 200でも『New Jersey』以来19年ぶりに1位を獲得。10月には地元ニュージャージーにオープンしたプルデンシャル・センターで10日間のこけら落し公演を皮切りにワールド・ツアーを開始。 7月、地球温暖化防止活動のためのチャリティー・コンサート『ライブ・アース』にジャイアンツ・スタジアムから出演。ニューヨークのセントラル・パークではニューヨーク市やMLB、多数の企業の協賛による大規模なフリー・コンサートを開催した。ワールド・ツアーは7月末に終了し、『Lost Highway Tour』はビルボード誌による2008年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった。 4月から開催された『トライベッカ映画祭』に『Lost Highway Tour』の模様を追ったドキュメンタリー映画『When We Were Beautiful』が出品された。10月にはデヴィッドが音楽・作詞を手掛けたブロードウェイ・ミュージカル『メンフィス』(Memphis)が上演開始となった。11月には11thアルバム『The Circle』を発表。Billboard 200でも1位を獲得した。 2010年、2月からワールド・ツアー開始。5月にはジャイアンツ・スタジアムの老朽化に伴って新築されたニュー・メドウランズ・スタジアム(メットライフ・スタジアム)公演を行った。6月にはO2アリーナで12日間公演を行った。なお、6月13日公演のみデヴィッドは不参加となった(第64回トニー賞授賞式出席のため)。11月には『Cross Road』からおよそ16年ぶりとなるベスト・アルバム『Greatest Hits』を発表。CDでは2枚組となる『Greatest Hits –The Ultimate Collection』を発表、さらにアメリカ盤・インターナショナル盤・日本盤で収録曲が異なる内容になっている。『The Circle Tour』はビルボード誌による「Top 25 Tours of 2010」第1位となった。 2011年、東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・アルバム『Songs For Japan』に参加。4月にはリッチーがアルコール依存症治療のためツアー不参加となり、代役としてフィルXが参加した。ツアーは7月末のポルトガルリスボン公演で終了した。
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2000年 - 2011年
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2000年、ボノ原作でヴィム・ヴェンダース監督による映画『ミリオンダラー・ホテル』(The Million Dollar Hotel)が公開(日本公開は2001年)。サウンドトラック制作や主題歌「ザ・グラウンド・ビニース・ハー・フィート」(The Ground Beneath Her Feet)も提供した(サルマン・ラシュディ著の同名小説中の詩に曲をつけたもの)。同年秋にはブライアン・イーノとダニエル・ラノワを再びプロデューサーに迎えたアルバム『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』(All That You Can't Leave Behind)を発表。“原点回帰”とも言えるバンド感のあるサウンドになっており、世界的にヒットした。シングル「ビューティフル・デイ」(Beautiful Day)は、全英シングルチャート1位となった。2001年には『Elevation Tour』を開催し、地元アイルランド公演はスレイン城で開催し8万人を集めた。 2002年、『第36回スーパーボウル』のハーフタイムショーに出演。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件で犠牲者となった全員の氏名をスクリーンに映し、追悼の意を表した。同年秋にはベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブU2 1990-2000』(The Best of 1990–2000)を発表。アルバムにも収録されている新曲「ザ・ハンズ・ザット・ビルト・アメリカ」(The Hands That Built America)が映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』(Gangs of New York)主題歌に起用された。 2003年9月から番組最終回となる2004年3月まで、テレビ朝日系報道番組『ニュースステーション』へ楽曲の使用許可を下し、オープニングテーマの「約束の地」(Where The Streets Have No Name)など、各コーナーでU2の曲が使用された。 2004年にはアルバム『原子爆弾解体新書〜ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』(How To Dismantle An Atomic Bomb)を発表。プロデューサーにスティーブ・リリーホワイトが復帰した。先行シングルの「ヴァーティゴ」(Vertigo)はApple「iPod」CMソング起用され、全英シングルチャート1位となった。日本でも、日本テレビ系番組『スポーツうるぐす』のテーマ曲になった。また、iTunes Store限定で『ザ・コンプリート・U2』(The Complete U2)が音楽配信された。 2005年、「ヴァーティゴ」に続き「サムタイムズ・ユー・キャント・メイク・イット・オン・ユア・オウン」(Sometimes You Can't Make It On Your Own)が全英シングルチャート1位を獲得する。7月にはチャリティー・コンサート『LIVE 8』に出演した。メアリー・J. ブライジはアルバム『ザ・ブレイクスルー』でボノと「ワン」でデュエットしており、翌年にはシングルカットされて全英シングルチャート2位とヒットした。 2006年、レナード・コーエン(Leonard Cohen)のドキュメンタリー映画『アイム・ユア・マン』(I'm Your Man)サウンドトラックにレナードとコラボレーションした曲「タワー・オブ・ソング」(Tower Of Song)を提供。同年秋には前年8月に発生したハリケーン・カトリーナで被害に遭ったニューオリンズのミュージシャン達を救うため、グリーン・デイと「セインツ・アー・カミング」(Saints Are Coming。オリジナルは1978年発表のザ・スキッズ)のカバー曲を発売。すべての収益を寄付した。また、ベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブU2 18シングルズ』(U218 Singles)を発表。同年冬には8年ぶりとなる日本公演をさいたまスーパーアリーナで行った。これは、同年春に日産スタジアムで開催予定であったライヴが、「メンバーの家族の病気」という理由により延期されたため行われた振替公演であった。来日時の11月29日にボノは安倍晋三(第90代内閣総理大臣)を表敬訪問し、総理へサングラスをプレゼント。アフリカの感染症問題に対する日本の貢献について高く評価し、今後も世界をリードすることに期待していると述べた。また、TBS系報道番組『筑紫哲也 NEWS23』ではボノがインタビューを受けた。12月1日にはテレビ朝日系音楽番組『ミュージックステーション』にはバンドで出演した。日本のテレビ番組に出演するのはボノが8年ぶり、バンドとしては23年ぶりのことであった。 2008年、『Vertigo Tour』の模様を収録した3D映画『U2 3D』を世界公開(日本公開は2009年)。 2009年1月、バラク・オバマの大統領就任式『祝賀コンサート』に出演。キング牧師が「I Have a Dream」の演説を行ったリンカーン記念館で、「プライド」と「シティ・オブ・ブラインディング・ライツ」(City Of Blinding Lights)を披露した。2月にはアルバム『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』(No Line On The Horizon)を発表。ボノは「巡礼をテーマにしたより瞑想的なアルバム」と表現した。『U2 360° Tour』がスタートした。8月にはジ・エッジがジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)、ジャック・ホワイト(元ザ・ホワイト・ストライプス)と共演した映画『ゲット・ラウド ジ・エッジ、ジミー・ペイジ、ジャック・ホワイト×ライフ×ギター』が公開(日本公開は2011年)。10月には『ベルリンの壁崩壊20周年記念式典』にバンドで出演しブランデンブルク門前でパフォーマンスした。12月から公開された映画『マイ・ブラザー』(日本公開は2010年)主題歌として「ウィンター」(Winter)を提供した。 2011年、東日本大震災で被災された方々への支援を目的としたコンピレーション・アルバム『ソングス・フォー・ジャパン』(Songs For Japan)へ「ウォーク・オン」(Walk On)を提供する。6月、ボノとジ・エッジが音楽を担当したブロードウェイ・ミュージカル『スパイダーマン:ターン・オフ・ザ・ダーク』(Spider-Man: Turn Off The Dark)が公開された。また、前年にボノの負傷により出演キャンセルしたイギリスのロック・フェスティバル『グラストンベリー・フェスティバル』にヘッドライナーとして出演した。
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