2000年-2005年 AG2R時代前半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 04:57 UTC 版)
「AG2R・シトロエン・チーム」の記事における「2000年-2005年 AG2R時代前半」の解説
2000年、AG2R・プレヴォワイアンスが3年契約でメインスポンサーになり、AG2R・プレヴォワイアンス(AG2R Prévoyance)に改称。デカスロンがセカンドスポンサーになりジャージを供給した。しかし、予算は削減され前年エースを務めたヴィノクロフはドイツの強豪チーム・テレコムに移籍。後任のエースはフェスティナ・ロータスから移籍してきたヴィノクロフと同胞のアンドレイ・キヴィレフが務めた。この年のキルシプーが大活躍し、チームのシーズン21勝のうちの13勝をチームにもたらした。ツール・ド・フランスではアニョルットがステージ優勝し、チームにこの年の最も重要な勝利をもたらした。しかしチームは翌年2部リーグに降格してしまう。 2001年、キルシプーはチーム23勝のうち18勝を収め、ツール・ド・フランスでもステージ優勝した。そしてキルシプーの発射台を務めるリュドヴィック・カプルがベルギー選手権で優勝。キルシプーの活躍もあり、チームは翌年1部リーグへ昇格を果たす。 2002年、ブノワ・サルモンがチームを去ったものの2001年ツール・ド・フランス総合12位のイニーゴ・チャウレアウとチャウレアウの従兄弟、ミケル・アスタルロサがチームに加入。キルシプーはクールネ〜ブリュッセル〜クールネでセミクラシック初勝利を挙げるが、パリ〜ニースで負傷、しかしツール・ド・フランス第2ステージで優勝しカムバックを果たした。またツール・ド・ランではクリストフ・オリオルが総合優勝を挙げた。 2003年、元世界チャンピオンのローラン・ブロシャールが加入。この年はブロシャールがクリテリウム・アンテルナシオナルでの総合優勝を含む4勝、キルシプーが11勝を挙げ、キルシプーは通算100勝目を記録した。他にもチャウレアウがいくつかのステージレースで総合トップ10に入り、アンディ・フリッキンガーがGP西フランス・プルエーを制した。 2004年、アマチュアクラブチームのシャンベリーCFとトレーニング契約を結んだ。この年は翌年から始まる世界の上位約20チームで争われる、UCIプロツアーに選出されるために重要なシーズンとなった。チーム強化の為に、スプリンターのジャン=パトリック・ナゾンとクライマーのステファヌ・グベールが加入。ツール・ド・フランスではキルシプーとナゾンが1週目にステージ1勝ずつ挙げ、グベールは総合20位に入った。しかしチャウレアウとアスタルロサは伝染性単核球症を発症し、リュドビク・テュルパンとロワイ・モンドリは怪我により年間を通してほぼレース活動ができなかった。そしてチームは世界ランキングでの順位が振るわず、2005年のUCIプロツアーに落選。初期からチームを支えたキルシプーとブロシャールもこの年でチームを離れた。 2005年、2006年のUCIプロツアー入りを目指して、UCIプロコンチネンタルチームとしてシーズンをスタート。前年、研修生として走ったサイモン・ジェランがプロ入りし、シリル・デセルも加入した。チームは多くのコンチネンタルサーキットのレースで結果を残す中、サミュエル・デュムランがプロツアーレースのドーフィネ・リベレで区間優勝。
※この「2000年-2005年 AG2R時代前半」の解説は、「AG2R・シトロエン・チーム」の解説の一部です。
「2000年-2005年 AG2R時代前半」を含む「AG2R・シトロエン・チーム」の記事については、「AG2R・シトロエン・チーム」の概要を参照ください。
- 2000年-2005年 AG2R時代前半のページへのリンク