電気事業に参入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 16:20 UTC 版)
これまで挙げた会社は桃介が実業界入り後の初期に関わり短期間で撤退した事業であるが、それらよりも長く関係した事業に鉱山と農場がある。鉱山事業では1907年1月、資本金14万4500円で瀬戸鉱山株式会社を設立。自ら専務となり(社長不在)、岡山県英田郡江見村(現・美作市)にあった瀬戸鉱山で銅の採掘にあたった。ただし銅山経営は8年間試みたものの軌道に乗らず、最終的に藤田組へ売却し撤収した。一方の農場は、1906年に北炭入社時の社長であった堀基から依頼されて譲り受けたもので、北海道最北部の増幌(現・稚内市)に立地。福澤はこれを「福澤農場」と名付け、ホルスタイン10頭を導入し製酪に乗り出した。農場は堀からの引継ぎ分に自身で買い足した周辺の土地をあわせた約1700町歩の規模となり、畜産業と農業に好成績を上げた。 紡績・肥料・ビール・鉱山・農場など様々な事業に対し投資した桃介が、最終的に実業界での本拠として落ち着いた先が電気事業である。電気事業に関係した契機は、福岡の実業家太田清蔵から依頼されて佐賀県の電力会社広滝水力電気の株式を引き取り、大株主となったことにある。同社は1908年10月開業に至る。九州では次いで同年12月、先に松永安左エ門らと出願していた福岡市内での路面電車敷設の特許が下りたため、1909年8月31日大株主となって福博電気軌道株式会社を設立、自ら社長に就任した。広滝水力電気・福博電気軌道ともに1912年(明治45年)発足の九州電灯鉄道の前身である。なお九州電灯鉄道発足時に桃介は役員就任を拒否しており、同社では筆頭株主ながら相談役に留まった。 九州での活動は#事業・九州電灯鉄道も参照 1908年7月30日、桃介は愛知県豊橋市の電力会社豊橋電気にて取締役に選出された。同社は事業拡大を目的として前年に資本金を15万円から50万円に拡大していたが、増資への応募が少なく地元以外からも出資者を募っていた。桃介は創業者で社長の三浦碧水の勧めで1908年より出資して筆頭株主となり、取締役を経て翌1909年には社長に就任(1912年まで)して経営改革にあたった。次いで東海地方では、豊橋電気よりも規模が大きい愛知県名古屋市の電力会社、名古屋電灯の買収に着手する。買収は1909年3月に始まり、翌1910年6月末までに1万株を持つ筆頭株主となるに至る。それと同時に会社内での地位が顧問、相談役、取締役と昇進、さらに1910年6月1日付で常務取締役に選出された。 名古屋電灯の後も電気事業への進出は続き、1911年3月15日、景山甚右衛門ら経営陣に依頼され香川県の電力会社四国水力電気(旧・讃岐電気)に入り第6代社長に就任する。桃介を社長に迎えた四国水力電気はかねてより計画していた祖谷川(徳島県)開発に着手し、1912年10月これを完成させた。同じ四国では続いて1911年3月、義弟大四郎らとともに愛媛県にあった松山電気軌道の取締役に就任する。友人である同社社長渡邊修に頼まれて出資と経営を引き受けたもので、取締役ながら会社の実権を任されて1912年3月までに軌道線の全線開通を達成した。 1912年にかけては3つの新設電力会社で社長となった。1つ目の浜田電気は1911年5月8日付で資本金15万円をもって設立。1912年2月より島根県那賀郡浜田町(現・浜田市)などを供給区域として開業した。2つ目の野田電気は1911年6月26日付で資本金5万円にて設立され、同年11月千葉県東葛飾郡野田町(現・野田市)などを供給区域として開業する。3つ目の佐世保電気は1912年10月17日付で資本金100万円にて設立。松永らと設立したもので、長崎県佐世保市にあった電気事業を買収した。 1910年代前半の時点では電気事業のほか都市ガス事業にも積極的であった。まず1910年4月28日付で東京に資本金200万円にて日本瓦斯株式会社を立ち上げた。同社は各地の地方都市で計画されつつあるガス事業に対し資金・資材を提供し経営・技術両面の指導をなすことを目的とする持株会社である。桃介は日本瓦斯社長を務めつつ、傘下ガス会社の役員を兼ねた。1913年(大正2年)に入ると傘下会社の大合同を企画し、まず新潟瓦斯(新潟県新潟市)・千葉瓦斯(千葉県千葉市)の統合を決定、6月2日付で合同瓦斯(現・北陸ガス)を設立する。次いで九州地方での合同を試み、九州・山口県のガス会社10社を一挙に統合して同年8月17日付で西部合同瓦斯(西部ガスの前身)を設立した。合同瓦斯・西部合同瓦斯ともに桃介が初代社長を務めている。 日本瓦斯ほかガス事業での活動については#事業・日本瓦斯も参照 以上のように桃介は主として地方都市における電気・ガス事業に関係するようになったが、1913年出版の自著『桃介は斯くの如し』にて、電気・ガス事業に積極的であるのは確実に利益の見込める事業であると認めたため、全国各所に手を広げているのは趣味の旅行も兼ねて事業ができるため、と書いている。
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