電力自由化の波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:48 UTC 版)
1980年代、イギリスではサッチャー政権が、アメリカではレーガン政権が、規制緩和・経済の自由化を進め、以降、規制緩和は世界的な潮流となった。1990年(平成2年)、イギリスは、世界に先駆けて発送電分離と電力自由化を実施した。 日本では、1985年(昭和60年)に通信自由化が実施され、新たな企業が電気通信事業に参入した。これによって電気通信市場に競争が生まれ、その結果、長距離電話料金は劇的に低下した。 その当時は、「日本の物価は世界一」ともいわれた時代であった。宮澤内閣は、1992年(平成4年)6月に閣議決定した「生活大国5か年計画」において、生活者・消費者の視点から「内外価格差の是正」を掲げ、電気料金にも言及した。また、円高により採算の悪化した製造業も、電気の内外価格差の是正を求めた。このような情勢のもとで、電気事業分野の本格的な規制緩和は、通信自由化に10年遅れ、1995(平成7)に初めて実施された。規制緩和の内容は、発電事業への参入規制を緩和すること、自前の配電網を持つ特定電気事業者を許可することなどであった。 その後、2000年(平成12年)には、産業用の特別高圧電力の小売が自由化され、自前の送配電網を持たない特定規模電気事業者が特別高圧電力の小売に参入できることになった。以降、自由化範囲は段階的に拡大された。 しかしながら、規制緩和とはいうものの、電気事業制度が一般電気事業者を中心としたものであることは、従来と変わりなかった。規制緩和以降に電気事業に参入した事業者が獲得できたシェアは、5%にも満たなかった。2007年(平成19年)3月に第1次安倍内閣が閣議決定した第2次エネルギー基本計画では、「発電から送配電まで一貫した体制で確実に電力の供給を行う責任ある供給主体である一般電気事業者を中心に、電気の安定供給を図る」という表現により、一般電気事業者による発送配電一貫体制を今後も堅持する方針を確認した。
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