電気事業での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 07:24 UTC 版)
伊丹が関連した会社のうち広滝水力電気は、佐賀県で最初の電力会社であった。同社は佐賀県出身の実業家牟田万次郎が主導した水力発電計画が起源で、伊丹は佐賀百六銀行頭取中野致明、大川運輸社長深川文十ら佐賀の有力財界人とともに会社の発起人に加わり、1906年(明治39年)の会社設立とともに取締役に就任した。さらに広滝水力電気が規模を拡大して1910年(明治43年)に九州電気へと改組すると伊丹は専務取締役に昇格している。 1912年(明治45年)6月、伊丹が専務を務める佐賀の九州電気と、福岡市を中心に電気事業と路面電車事業を営む博多電灯軌道(旧博多電灯・福博電気軌道)が合併し、九州電灯鉄道(本社福岡市)が発足する。合併に際して筆頭株主で博多電灯軌道相談役の福澤桃介が新社長の候補であったが、福澤が社長就任を辞退したため、伊丹がこの九州電灯鉄道の社長に就任した。以後、九州電灯鉄道は相次ぐ合併・買収により供給区域を福岡・佐賀両県のみならず長崎県・熊本県・山口県へと拡大し、資本金5,000万円という有力な電気事業者へと発展していく。この中で、会社の統合は人々からの信望が厚い伊丹だからこそ順調に進んだと当時評された。ただし伊丹は会社の実務には携わっておらず、常務の松永安左エ門・田中徳次郎が実務を担当するという経営体制が採られていた。 1915年(大正4年)9月、福岡と久留米を結ぶ電気鉄道の建設を目指す筑紫電気軌道(後の九州鉄道。西日本鉄道(西鉄)の前身の一つ)が伊丹を含む九州電灯鉄道関係者によって設立されると、伊丹はその初代社長に就任した。許認可の遅れで開業まで時間を要したが、九州鉄道は1924年(大正13年)に路線を開通させた。この路線は現在の西鉄天神大牟田線の一部にあたる。
※この「電気事業での活動」の解説は、「伊丹弥太郎」の解説の一部です。
「電気事業での活動」を含む「伊丹弥太郎」の記事については、「伊丹弥太郎」の概要を参照ください。
- 電気事業での活動のページへのリンク