会社設立と開業
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旧松江藩の城下町松江市では、1890年(明治23年)ごろから電気事業の起業を目指す動きが始まる。1894年(明治27年)になると会社設立に向けた具体的な手続きが始まり、3月に最初の会社設立協議会が開かれ、続いて各地の電気事業の実地調査が実施される。調査結果に基づき松江市での起業計画も詳細が詰められ、同年11月30日には電気事業許可の取得まで進んだ。 1895年(明治28年)1月より株式募集などの会社設立事務が始められ、役員選出を経て同年4月16日付で農商務省からの会社設立認可が下りて松江電灯株式会社が発足した。設立時の資本金は3万5000円。初代社長には松江の旧家出身の桑原羊次郎が就任し、地元の実業家で会社設立を主導した山本誠兵衛が自ら取締役兼支配人となった。会社経営については山本と、筆頭株主の紙商織原万次郎の2人が主として担当した。なお織原はその後1899年(明治32年)3月より桑原に代わって2代目社長に就任している。 本社と電源の火力発電所は松江城の麓の松江市殿町に建設された。最初の発電設備は大阪電灯から購入した中古品で、原動機は蒸気機関、発電機は出力34キロワットの単相交流発電機であった。発電所竣工後1895年9月21日にまず試験点灯を実施。それを受けて10月1日より松江市内一円を供給区域として営業を開始した。中国地方では前年に開業した岡山電灯(岡山市)・広島電灯(広島市)に続く3番目の電気事業であり、1912年(明治45年)に浜田で浜田電気が開業するまで17年間にわたり島根県唯一の電気事業者でもあった。 開業時の電灯数は250灯で、その電灯料金は10燭灯で月額1円10銭、16燭灯で月額1円35銭と高価であった。
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会社設立と開業
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静岡県西部、天竜川沿いの浜松市天竜区(旧佐久間町)西渡地区では、1899年(明治32年)から1970年(昭和45年)にかけて古河鉱業(現・古河機械金属)により「久根鉱山」という銅山が操業していた。この銅山に電力を供給するための自家用発電所として、古河鉱業により大正時代に2つの水力発電所が建設された。その一つが、上流の愛知県豊根村古真立に建設された豊根発電所である。天竜川沿いに立地するが山を挟んだ天竜川水系の大入川(おおにゅうがわ)から取水する発電所であり、3,450キロワットの発電力があった。 上記豊根発電所と、未開発であった天竜川本流「滝原」地点の水利権を古河鉱業から引き継ぎ起業されたのが天竜川水力電気である。会社設立は1920年(大正9年)5月20日。本店を東京市麹町区八重洲町1丁目(現・千代田区丸の内2丁目)に置き、浜松市連尺に支店を設置。社長に井上公二(古河合名会社理事)が就任し、日本形染社長宮本甚七ら浜松市の人物も役員に入った。設立時の資本金は1000万円(払込資本金400万円、1株20円払込)であった。 新会社天竜川水力電気の起業目的は浜松方面への電力供給にあった。浜松市では、地元の浜松電灯を東京の日英水電が買収、同社が1912年(明治45年)より水力発電を電源として供給にあたっていたが、大戦景気を背景に地場産業の織物業界が活性化したことで慢性的な電力不足が続いていた。こうした状況下で電気事業に参入した天竜川水力電気では、既設豊根発電所から浜松市向宿の変電所へ至る送電線を整備し、1921年(大正10年)6月1日より浜松市内需要家への配電を開始した。同年11月からは愛知県岡崎市の電力会社岡崎電灯への電力供給も始まっており、開業後最初の決算(11月末)時点での需要家は、従前からの久根鉱山(370キロワット供給)と新規の岡崎電灯(1,000キロワット供給)および浜松市内需要家11軒(動力1,120馬力・電灯2,200灯供給)となった。
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