会社設立とエースダブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/22 14:31 UTC 版)
「エース・ブックス」の記事における「会社設立とエースダブル」の解説
編集者ドナルド・A・ウォルハイムは1952年、エイボン・ブックスで働いていたが、自分の仕事に満足できなかった。転職を考えていたころ、アーロン・A・ウィンに会う機会があり、彼に新たなペーパーバック出版社を始めることを持ちかけた。ウィンはパルプ・マガジンなどの出版で知られる A. A. Wyn's Magazine Publishers のオーナーである。ウィンの出版するパルプ・マガジンとしては Ace Mystery や Ace Sports があり、エース・ブックスという名称はそれらに由来していると思われる。ウィンはウォルハイムの考えを気に入ったが、実行に移すまで数ヶ月を要した。その間、ウォルハイムは職を転々とし、その中にピラミッド・ブックスでの編集助手の仕事があった。ピラミッド社は身元保証人としてウィンの妻であるローズに電話を入れた(ウォルハイムが彼女の下で働いていたと勘違いしていた)。ローズがウォルハイムが転職したことを夫に知らせると、ウィンは心を決め、ウォルハイムを編集者として雇ったのである。 エース・ブックスの最初の本は2つのミステリ小説(キース・バイニングの Too Hot for Hell とサミュエル・W・テイラーの The Grinning Gismo)を背中合わせに一冊にしたもので、価格は35セント、シリアル番号は D-01 だった。これは、本をひっくり返すともう一方の小説を最初から読めるようになっているもので、両面が表紙になっていて、(時には間に広告ページを挟んで)真ん中あたりに2つの小説の末尾が来るようになっているものである。この形式はエース・ブックスの発明のように思われているが、そうではない。しかし、その後21年間に渡ってエース・ブックスがこの形式で本を出版し続けたため、同社がこの形式では最も有名となった。この「エースダブル (Ace Double)」形式の欠点は、2つの小説の長さが制限される(合計で256ページから320ページ)点で、そのために一方または両方の小説を短くしなければならないことがしばしばあった。表紙には "Complete and Unabridged"(完全版であって短縮版ではない)とあったが、実際には短縮版ということがあった。 主なDシリーズの初期作品としては、ウィリアム・S・バロウズの処女長篇『ジャンキー』(ウィリアム・リーの筆名を使用)、フィリップ・K・ディック、ロバート・ブロック、ハーラン・エリスン、ルイス・ラムーア(筆名としてジム・メイヨーも使用)らの作品がある。 初期シリーズ最後のエースダブルは John T. Phillifent の Life with Lancelot とウィリアム・バートンの Hunting on Kunderer を一冊にしたもので、1973年8月(シリアル番号 #48245)に出版された。1974年には再びエースダブルの名が復活したが、それまでとは異なり普通に2作品を一冊にしたものになっていた。エースダブルの出版は1988年まで続いた。エース・ブックスは650冊弱のエースダブルを出版し、そのうち600冊以上が古い形式(両表紙でひっくり返して読む形式)である。
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