会社設立から全通まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:44 UTC 版)
「三井電気軌道」の記事における「会社設立から全通まで」の解説
三井電気軌道は1912年(明治45年)4月23日、資本金100万円で福岡県三井郡北野町(2005年久留米市へ編入)に設立された。初代社長となった北野町の素封家で北野町長を務めた鈴木利十が中心となって設立したもので、前年1911年(明治44年)8月10日付で北野町から久留米市内(久留米駅前)・朝倉郡甘木町(現・朝倉市)・佐賀県三養基郡鳥栖町(現・鳥栖市)の3方向へ至る軌道敷設特許を取得し、さらに同年10月4日付で久留米市から八女郡福島町(現・八女市)へ至る区間の特許も取得していた。これらの路線は、計画当時に存在した国鉄二日市駅と甘木町を結ぶ朝倉軌道、羽犬塚駅と福島町を結ぶ南筑軌道とは別個に、筑後地方の中心都市である久留米市と甘木町・福島町を短距離で結ぶ電気鉄道を敷設することを目的としていた。 最初に着工されたのは福島線で、久留米市内の日吉町駅から福島駅までの7マイル56チェーン(12.39キロメートル)が1913年(大正2年)7月18日に開業した。路線の規格は軌間1,435ミリメートル・直流600ボルト電化である。続いて北野線が着工され、1915年(大正4年)10月17日に宮ノ陣駅から北野駅までの3マイル38チェーン(5.59キロメートル)も開業した。開通当初、両線は離れて立地しており連絡はなかった。1916年(大正5年)9月27日、福島線が日吉町駅から先へ渕ノ上駅まで1マイル15チェーン(1.91キロメートル)延伸され、筑後川の南まで達した。 1915年2月、初期から計画されていた兼営の電気供給事業が開業した。三井郡を中心に供給区域を広げ、短期間で発展、1917年ごろには先に開業した鉄道事業の収入に迫る収入をあげるようになった。 北野線を甘木駅まで延伸するに際しては、第一次世界大戦による資材価格高騰の影響を受け建設費節約を目的に1917年(大正6年)1月に軌間914ミリメートルの非電化(蒸気運転)へと規格を落とす許可を受けた。しかし大戦後に他線区と同じ元の規格に戻し、1921年(大正10年)12月8日に北野・甘木間7マイル69チェーン(12.65キロメートル)の開業に漕ぎ着けた。最後に開通したのは両線を繋ぐ宮ノ陣駅から渕ノ上駅までの15チェーン(0.30キロメートル)で、1924年(大正13年)3月13日に開業し、これにて甘木から福島まで全線開通に至った。最後の区間は筑後川を渡る地点で、「新宮の陣橋」に併用軌道を敷設することで開業している。
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