電気事業の開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:48 UTC 版)
発電所は、当時長崎市外であった浦上山里村馬込郷(市の北側、後の長崎市御船蔵町)に設置された。1893年(明治36年)2月に発電所の試運転が開始され、4月1日より長崎電灯の本格営業が始まった。長崎電灯の事業は、1891年7月に開業した熊本市の熊本電灯(後の熊本電気)に続く、九州で2番目の電気事業である。 長崎電灯では、10燭終夜灯を例に挙げると月額1円20銭という具合に、産炭地に近い立地であるものの高価な電灯料金を設定していたが(石炭費の高い熊本電灯は10燭灯月額1円)、開業から1年で電灯数が700灯前後となって早々に59キロワットという当初の発電力では賄いきれなくなった。発電所が街中から遠い、水利が悪く燃料費に劣らない利水料がかかる、という欠点があったことから、1896年(明治39年)に増設とともに発電所を長崎市内東部の高野平(現・高平町)へ移転している。増設後、翌年には電灯数が1,767灯となり、先発の熊本電灯よりも大きな事業となった。 供給増加の一方で、1896年以降は石炭価格の高騰に伴って経営状況が悪化し、1896年下期には欠損を出すに至った。これをうけて電灯供給時間を終夜から午前1時30分までに短縮する(半夜灯という)とともに料金を引き上げるという対策を打ち出し、利益を確保している。値上げによって供給実績は一度落ち込むものの1899年(明治32年)以降は増加傾向に戻り、1903年(明治36年)には電灯数が5千灯を超えた。このような事業拡張に要する資金として1902年(明治35年)には資本金を3倍の24万円へと増資したが、多くの借入金を抱え支出が嵩み経営は順調と言えるものではなかった。
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