電気事業への参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 04:21 UTC 版)
アメリカのフィラデルフィアにて留学中、後から渡米してきた福澤桃介と交流をもった。後年、福澤が木曽川における水力開発を志し木曽電気製鉄を設立すると、伊丹も1918年(大正7年)9月の設立と同時に取締役の一人となった。翌1919年(大正8年)6月には、福澤や岩崎清七・成瀬正忠らとともに北陸地方での水力開発を目的に白山水力を設立、初代社長に就任する。ただし在任期間は短く、半年後の1920年(大正9年)2月に小林源蔵と交替している。 1919年(大正8年)11月、福澤を社長とする大阪送電、後の大同電力の設立とともに監査役に就任。福澤の社長辞任後も長く監査役に留まり、同社が解散する1939年(昭和14年)4月まで長く務めた。また大手電力会社の東邦電力(旧・関西電気)でも1921年(大正10年)12月監査役に選出、1925年(大正14年)5月に取締役へ転じて、1933年(昭和8年)5月まで在職している。
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