電気事業への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 12:38 UTC 版)
豊橋市の電力会社豊橋電気(1894年開業)は、電源となる水力発電の適地を求めた結果新城の北方南設楽郡作手村(現・新城市)へと進出、1908年(明治41年)に見代(けんだい)発電所を新設した。こうして南設楽郡へ進出した豊橋電気は、少し遅れて1912年(明治45年)4月から新城町でも電気の供給を始めた。 豊橋電気の新城参入に対し、ガス会社であった新城瓦斯では電気事業の将来性に着目して豊橋電気と交渉し、その電気事業を買い取ることとなった。まず1916年6月4日付で豊橋電気との間に見代発電所の送電系統に属する施設および事業を買収する契約を締結。次いで翌1917年(大正6年)3月14日(登記日)、社名を新城瓦斯から「東三電気瓦斯株式会社」へと改称し、企業の目的を電気供給・ガス供給その他に変更する。さらに同年4月9日(登記日)、社名を「東三電気株式会社」と改め、会社を東郷村八束穂に移転した。移転は社長を務める牧野文斎が同じ地区に居住するためである。 1917年3月5日付で逓信省より事業譲受けに関する認可が下り、5月1日付で引継ぎを完了、同日をもって東三電気は電気事業を開業した。供給区域は新城町と東郷・千郷・作手・金沢・豊津・橋尾・賀茂・石巻の8村(追って八名・一宮の2村も追加)だが、豊橋電気時代に開業済みの地域は新城・東郷・作手の3町村に過ぎない。事業買収金額は22万円であり、資金調達のため東三電気は資本金を25万円へと増資している(増資登記は社名再変更・移転と同時)。開業後、1917年末時点での電灯供給は需要家数1468戸・取付灯数3505灯、電力供給は電動機19台・計31馬力に電気事業者への送電280キロワット(うち270キロワットは豊橋電気へ供給)を加えた計303.1キロワットであった。 翌1918年(大正7年)3月18日、事業目的からガス事業を削除し電気事業専業に転換した。なお逓信省の統計によると1917年の時点では少額の「兼業」収入が計上されているが、1918年分には計上されていない。
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