電気事業再編成令の公布
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「配電統制令」の記事における「電気事業再編成令の公布」の解説
詳細は「電気事業再編成令」を参照 連合国軍占領下の日本における経済民主化政策の一環として、1947年(昭和22年)12月に過度経済力集中排除法(以下「集中排除法」)が公布された。翌1948年(昭和23年)2月22日、日本発送電と9配電会社は集中排除法の指定を受ける。集中排除法の指定会社は占領政策の転換により指定解除されていくものがほとんどであったが、日本発送電と9配電会社は最後まで指定解除されず、実際に集中排除法の適用をうけた18社に名を連ねることとなる。 1年半後の1949年(昭和24年)11月、政府により松永安左エ門を会長とする「電気事業再編成審議会」が立ち上げられ、松永ほか4人の委員によって再編成の方針に関する議論が始まった。審議会は通商産業省当局およびGHQと緊密に連携しつつ議論を進め、翌1950年(昭和25年)2月1日に答申に至る。審議会答申の内容は、日本発送電・配電会社をすべて解体の上、現在の配電会社の区域とほぼ一致する全国9ブロックの電力会社へと再編するとともに、日本発送電の設備の一部をもってブロック別電力会社に対する電力融通を専門とする融通会社も立ち上げる、というものであった。ただし少数意見として、融通会社を作らずにブロック別の発送配電完全一貫経営の電力会社へと再編し、電力融通は各社間の契約と公益事業委員会によって調整する、という松永会長案も答申に付け加えられた。 審議会答申に前後し、政府はGHQより過度経済力集中の状態にある日本発送電・配電会社の分割計画を迅速に提出するよう求められた。これを受け政府は松永案の採択を決定、全国を9ブロックに分割しそれぞれ発送電配一貫経営の電力会社を新設するという基本方針を1950年2月21日の閣議で決定した。そして4月20日、日本発送電と9配電会社の解体・再編成のための「電気事業再編成法」案を第7回国会に提出した。ところが法案は5月2日の閉会まで審議が続けられたものの、与党自由党内にも不支持が多く審議未了となった。 法案成立を目指す政府は修正案をまとめ、9月30日与党内の合意を取り付けた。ところが今度はGHQが原案の固持を主張し修正案を否定する。こうして電気事業再編成法案は成立が絶望的な状況に追い込まれるが、第9回国会開会翌日にあたる11月22日に連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーから吉田茂総理大臣に対し電気事業再編成促進を求める書簡が送られると、政府は急遽法案(第7回国会提出の原案)をいわゆる「ポツダム政令」の形で実施する方針を決定する。23日の閣議決定を経て、翌24日、「電気事業再編成令」と関連する「公益事業令」を公布、12月15日より施行した。
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