電気事業再編成審議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 05:34 UTC 版)
GHQは日本発送電と9配電会社に再編成計画を持株整理委員会に提出するよう命令した。これに対し両者は1948年4月に案を委員会に提出したが、この案は全く正反対の性格を持つ構想であった。すなわち日本発送電案は従来の体制である国家管理を維持し、民間から選出された「電気委員会」が会社経営陣に諮問を行うとする案であり、形式的に民主化するという形ではあったが会社自体は発電・送電・配電事業を一括して運営するとしており、いわば日本発送電を強化する内容であった。一方の9配電会社案は会社が発電・送電・配電事業を一括して運営するという点では日本発送電案と一致するものの、その経営形態は完全の民有民営であるとしており、日発成立前のいわば「先祖返り」であった。両者は電気料金や需要の均衡という点で鋭く対立した。時の片山内閣は水谷長三郎商工大臣の諮問機関として「電気事業民主化委員会」を設置して再編成案を検討し、芦田内閣の時に両案を折衷する妥協案を呈示した。 しかしGHQはこうした政府の対応に不満であり、早急な再編成を求めた。そして1949年(昭和24年)5月に開かれた集中排除審査委員会で決定した全国7地域への分割・民営化案をGHQ案とし、9月にはこの案を基礎にしてさらに商工省電力局から電力会社への管理権能を剥脱し、経営には関与しない調整機関の設置を行うという二つの項目を政府に対し強硬に求めた。この時GHQは、政府の鈍重な動きに対して電力再編成を占領軍命令で強行する準備もしていた。これに対し第2次吉田内閣はGHQの介入を阻止すべく11月、大屋晋三商工大臣の諮問機関として電気事業再編成審議会を設置。委員長を含む五人の審議委員を任命した。 審議委員には復興金融金庫理事長・工藤昭四郎、慶應義塾大学教授・小池隆一、日本製鐵社長・三鬼隆、国策パルプ副社長・水野成夫の四名が選ばれた。この四名の人選は白洲次郎の官僚への働きかけによる。そして審議委員長には「電力王」「電力の鬼」と称され、戦前日本発送電の設立に猛反対し賛成する官僚を「人間のクズ」呼ばわりした旧東邦電力社長・松永安左エ門が任命され、二ヶ月の審議を経て二つの案が政府に答申された。一つは三鬼隆が提案した「融通会社案」で、電気事業は9地域に分割・民営化するものの日本発送電施設は60パーセントを移管させ、残りの40パーセントは国営の融通会社が管理して各会社間の電力融通を調整するというもので、日本発送電案や民主化委員会案に近い。一方松永が提案した「9ブロック案」は全国9地域に一切の発電・送電・配電を分割するというもので、9配電会社案とほぼ同様であった。この二案に対し松永以外の4委員は三鬼の「融通会社案」を推し、松永の案は付加意見として両論併記という形で提出された。官僚嫌いでもある松永は戦前から一貫して電力事業に国家が必要以上の介入をすることに反対しており、委員会では孤立しながらも持論を押し通したのである。なお、松永は宿願であった日本発送電の解体後も財団法人電力中央研究所を設立するなど電力事業の発展に注力したが、業界の発展を展望して電気料金値上げなどを強力に推し進めたこともあって、「電力の鬼」とあだ名された。
※この「電気事業再編成審議会」の解説は、「日本発送電」の解説の一部です。
「電気事業再編成審議会」を含む「日本発送電」の記事については、「日本発送電」の概要を参照ください。
- 電気事業再編成審議会のページへのリンク