初代津電灯の設立
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三重県の県庁所在地津市における電気事業者は「津電灯」という。初代の津電灯株式会社は、1896年(明治29年)5月19日、資本金3万円で設立された。設立の中心となったのは、初代社長となった内多正雄や2代目社長となる川喜田四郎兵衛ら地元の実業家で、株式募集の対象者は市内現住者に限られていた。社屋は津市南堀端(中部電力津支店所在地)に建設された。 電源は火力発電所であり、石炭搬入の便が良い本社裏手の岩田川沿いに設置。当初は出力30キロワットの交流発電機を1台のみ備えた。機械の据付完了につき1897年(明治30年)3月より試運転を始め、工事竣工に伴い3月31日夜に無料点火を行った上で、4月1日より営業開始した。三重県下における電気事業の開業は津電灯が初。ただし年内に宇治山田町(現・伊勢市)で宮川電気(後の伊勢電気鉄道)、四日市市で四日市電灯(後の北勢電気)が相次いで開業し主要都市には出そろった。津市に出現した電灯はその明るさが評価され、初め約320戸であった電灯需要家数は1か月後2倍の767戸へと拡大した。ただし当時の電灯料金は高く、石油ランプに用いる灯油代の約10倍であった。 発電所はその後順次拡張された。まず1900年(明治33年)10月に60キロワット発電機が1台追加される。次いで1905年(明治38年)10月に同型機1台が増設された。さらに1907年(明治40年)3月、津市内での関西府県連合共進会開催に伴い150キロワット発電機が増設され、発電所出力は300キロワットとなった。それでも会期中は発電力が不足するため、名古屋電灯から設備を借用して会場近くに出力70キロワットの臨時発電所を設置して対処している。 1910年初頭時点における津電灯は資本金20万円の会社で、社長川喜田四郎兵衛以下すべての役員が津市内の人物であった。
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