都市計画としてのランドスケープ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 22:35 UTC 版)
「ランドスケープ」の記事における「都市計画としてのランドスケープ」の解説
19世紀を通して、都市計画はそのまま都市問題の中心と化し、ランドスケープ・ガーデニングの伝統と都市計画の新たな分野の組み合わせは、ランドスケープアーキテクチャーにこれらのニーズに応える機会を提供した。今世紀後半、フレデリック・ロー・オルムステッドは一連の公園を完成させ、今日もランドスケープ・アーキテクチャーの実践に大きな影響を与え続けていく。成果の中にニューヨークのセントラル・パーク、ニューヨーク ブルックリンのプロスペクトパーク、そしてボストンのエメラルドネックレスパークシステムがあり、イェンス・イェンセンはイリノイ州シカゴ、およびFair LaneやGaukler Pointを含むフォード家所有地のために洗練された自然主義的な都市および地方公園を設計、アメリカ造園協会(ASLA)の創設メンバー10人のうちの1人で、唯一の女性ベアトリクス・ファーランド含め多数の大学キャンパス設計コンサルタントを務める:プリンストン大学(ニュージャージー州プリンストン ;コネチカット州ニューヘブン イェール大学、マサチューセッツ州 ボストンのハーバード大学アーノルド植物園など。彼女が手がけた数多くの民間の不動産プロジェクトにジョージタウンの近くにあるワシントンD.C. のランドマークと化したダンバートン・オークスがある。以来、他のアーキテクト、特にRuth HaveyとAlden HopkinsはFarrandデザイン要素へ変更し、その時期から都市計画は、土木工学、建築、行政など他分野の重要成果をも組み込んだ独自の職業へと発展。都市計画家はランドスケープアーキテクトとは無関係に業務を実行することが可能であるが、一般的にランドスケープ・プログラムなしのカリキュラムでは学生は都市計画家になっていくことはできないといえる。 ランドスケープはデザイン分野として発展し続けており、20世紀から21世紀にかけての建築と都市環境デザインのさまざまな動きに対応し続けている。20世紀半トーマス・チャーチはこの職業において重要なランドスケープアーキテクトであり、ブラジルのロバート・ブール・マルクスは、インターナショナル・スタイルとネイティブのブラジルの植物や文化を組み合わせて、新たな審美的なスタイルを造り出し、革新的なそれは今日もマスタープランニング、風景、そして庭園のための現代的なデザインソリューションで挑戦的な問題を解決し続けている。 イアン・マクハーグは、ランドスケープアーキテクチャーに環境問題を取り入れたことで知られている。彼は場所の質的な属性の完全な理解を集めるために敷地の層を分析するシステムを普及させた。このシステムは今日の地理情報システム(GIS)の基盤となるが、マクハーグは歴史、水文学、地形、植生など、対象地すべてに定性的側面にレイヤーを付与し、GISソフトウェアは、今日のランドスケープアーキテクチャーの分野で広く使用されていく。また、都市計画者、地理学者、林業および天然資源の専門家などによっても利用されていく。 現在では派生して、ランドスケープ・アーバニズムという観念が広まりつつある。 北欧などは敷地に建築を建てる際、インテリアとランドスケープ・アーキテクトになどの専門家が必要で、ランドスケープ・アーキテクトは建築の配置を担当する。この場合のランドスケープ・アーキテクトの資格は、大学の地理学科を卒業すると得ることができる。ランドスケープにおける考え方は、人や時代によって意味、解釈は変化してきたが、都市計画とランドスケープの繋がりは古くから存在し、ランドスケープ的手法は都市空間整備にはよく使用されている。古代より、東西を問わず、山や川など、人々の周りの風景や、自然の創造物を元にした人の生活が行われることはしばしば見受けられた。また、高台に作られた神社、他の建築物よりも大きな寺、高い塔を持つ教会など、シンボルとなる、人工の構造物を街や都市の重要要素(ランドマーク)として位置づけ、これらを基盤とした都市の設計も行われている。日本では借景、点景を使った、また水面を大きく取る、石を組む、など造園手法が、ランドスケープとしてよく引用される。近代に入ると、都市が持つ要素をランドスケープ的な視点で科学的に分析し、各々の要素を分析、再構築することで、より良い都市を作り出すことができると考えられた。これらを学問として位置づけ、積極的に研究された。 人が集まる中心的な場所構築はよく用いられた設計手法のひとつで、日本の神社は仏教伝来以前は祭事を行う場所であるだけでなく、先祖の供養を行い、村の人間が議論する中心であり、古代ギリシアの中央広場、フォルムは神殿、体育場、公共施設に囲まれた空間で、市民の集まる都市の中心、帝政ローマのフォロ・ロマーノは、広大な領土の中心として、政治、軍事、宗教の中心的な場所であるが、ランドマークという手法による、歴史的建築物、高層建築物、広場、公園演出など、その都市における象徴的存在そのものを指す手法、具体的には、東京タワー(日本、1958年(昭和33年))、凱旋門(パリ)、ホワイトハウス(ワシントン)、天安門広場(北京)など、いずれもその都市の代名詞と成り得るシンボルであり、都市施設にそうしたランドスケープ的なシンボル性を与えることはわかりやすい手法のひとつである。 フランスは伝統的にランドスケープ要素を取り入れた都市構築を行う。シャンゼリゼからラ・デファンスにつながるパリ都市軸を形成し、グランプロジェの一つであるグランダルシュを貫かせる。近郊の新都市セルジーポントワーズの「大都市軸」と関係づけられている。セルジーポントワーズは芸術家のダニ・カラヴァンがランドスケープアーキテクト、フランスではペイサジスト、としてランドスケープ構築を行った。
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