都市計画と建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 08:20 UTC 版)
「サンタフェ (ニューメキシコ州)」の記事における「都市計画と建築」の解説
サンタフェは「インディアス法」(スペイン語:Leyes de Indias)と呼ばれる都市計画の規則のもとに建設された。この規則は1573年にスペイン国王フェリペ2世によって確立され、法制化されたものである。この規則に基づいた都市建設の原則は、プラサ(plaza - 広場)を中心として都市に必要な建物を建設していくというものである。サンタフェでは、プラサの北隣には総督邸が、東隣には後に聖フランシス大聖堂となる教会が建設された。また、もう1つの原則は、都市の通りは中心のプラサから放射状に延びるというものである。最初は狭い通りが多く、裏通りもあったが、次第に都市と周辺の農村部とをつなぐ道へと発展していった。 サンタフェは19世紀に発展を遂げていくにつれ、その時代を反映した様式で街が整備されていった。しかし、1912年にニューメキシコが州に昇格すると、計画性のない都市設計によりサンタフェが「アメリカのどこにでもある街」になってしまうのではないかという危惧が生まれた。西進する鉄道敷設がサンタフェを避けて以来続いていた経済的な衰退もあって、市は観光振興の一環として、他に見られない独自のスタイルを確立しようとした。総督邸をはじめとする歴史的な建物を修復し、リオ・グランデ川流域のプエブロ族の伝統建築にならって市内の建物の外観をアドビ風に統一した。1930年頃になると、今度は白い壁や切妻屋根といった、スペイン植民地復古様式の建物を建て始めた。こうして、サンタフェは他に見られない独特な景観を持つ街になっていった。 1958年の条例では、建物の新築・改築の際には(特に歴史地区内においては)、スペイン植民地時代の様式、またはプエブロ族の様式を踏襲するように定めた。しかし、新しい建物の多くは外観こそスペイン風の白壁やプエブロ族のアドビ風であるものの、木材やコンクリートといったよくある建築材を用い、外観に漆喰細工を施したものが多い。地元住民は、このような建物をfake adobe(にせアドビ)と呼んでいる。サンタフェのランドマークの1つにもなっているニューメキシコ州会議事堂は、植民地時代の様式と新古典主義建築の両方の影響を受けた建築物となっており、アメリカ合衆国議会議事堂を模した形であることが多い他州の州庁舎とは一線を画している。
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