都市計画と延伸計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:28 UTC 版)
「東京メトロ銀座線」の記事における「都市計画と延伸計画」の解説
終戦後、戦災復興院によって「東京都市計画高速鉄道網」の改訂が行われ、1946年(昭和21年)12月7日に戦災復興院告示第252号によって戦後の第3号線は「大橋 - 渋谷 - 浅草間」の路線として告示・都市計画を決定した。 日本最古の地下鉄であるにもかかわらず鉄道要覧での路線名が「3号線銀座線」を名乗るのは、前述の戦災復興院の告示において、開業の順序にかかわらず、都心への路線が東京湾に近い方から時計回りに計画路線番号を割り当てたためである。 1962年(昭和37年)6月の都市交通審議会答申第6号において、第3号線は「二子玉川方面より渋谷、赤坂見附、新橋、神田、上野及び浅草の各方面を経て三ノ輪方面に至る路線」として答申され、8月29日の建設省告示第2187号により、第3号線二子玉川園駅 - 三ノ輪間(26.0 km)の都市計画が決定された。 しかし、1968年(昭和43年)4月の答申第10号において、第3号線は渋谷 - 三ノ輪間(17.3 km)に短縮され、二子玉川園 - 渋谷間(東急新玉川線の建設を予定)は銀座線規格の第三軌条方式の路線から架空電車線方式の路線となり、新たに追加された第11号線(半蔵門線)の一部となった。その後1977年(昭和52年)4月に東急新玉川線(現在の東急田園都市線)として開業している。 浅草 - 三ノ輪間(3.2 km)の延伸は、都市高速鉄道第3号線としての都市計画決定が行われ現在も有効であるが、1985年答申の運輸政策審議会答申第7号にて延伸計画は削除されている。
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